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車いすママの日常 19(ヤングケアラー問題)

「ヤングケアラー」が話題になっている。
我が家なんて私も旦那も車いすユーザーだから、気になる家庭になるんだろうなと思ったり。以前、そのようなことを言われたこともあり、心がざわざわしている。

スーパーや駅などで知らない人から「まあ、お兄ちゃん、お父さんとお母さんのお世話して偉いわね」と息子が声をかけられることはたしかに多い。そのたび、息子は怒る。ぼくはママたちの世話なんかしていない、と。その声をかけられた時だって私は長ネギが飛び出た大きな袋を膝に乗せていたりするんだけどね、息子はただ隣を歩いているだけなのだけど、目から入る情報ってとても大きくて、車いすの人と一緒にいる歩ける人はみんな「介助者」と見えてしまうことが多いのだろうなと感じる。それが親子でも、ただの友だちでも。

私は息子を、介助者にしたくて産んだわけじゃない。なんなら私自身も、歩けた昔、私は「車いすの親の介助者になるために生まれたんじゃない」と思っていた。私もまた、歩けた時代は見ず知らずの人から「お母さんのお世話して偉いわね」と言われていたから。いやただ、私は車いすの母の隣を歩いていただけなのに。

息子は中学生になってやっと、最近は時々風呂洗いをしてくれるようになった。それもゴシゴシするわけじゃない、シューっとして1分待つだけ、のあれだ。それでもだいぶ助かるなと思っていたけど、これもお世話になるのかな。いや、これはお手伝いだと思うんだけどな。

今でも「ママーおやつにカップラーメン食べたいからお湯沸かしてー」「ママーこれ洗っといてー」「ママーあれとってー」「あれ食べたいから作ってー」と当たり前にいう息子に、「ちょっとは自分でやれや!」と思うのは、ヤングケアラー問題になるのか。とか、考えてしまった。

いや、これは、ただの親子のやりとりだ。もちろん、スーパーで私の手が届かない高いところのものをとってもらったりすることはある。でもそれは、持ちつ持たれつだよな、家族はチームだからな、と思っている。でもたぶん、そこだけを切り取られたら、これは間違いなく、ヤングケアラー問題に関わってくるのだろう。それは私たちが車いすユーザーであることで、顕著に。難しいな、ただ、歩けないから車いすに乗っているだけなんだけどな。私たち夫婦は私たちなりのプライドを持って子どもを望んでいて、私たちに障害があることで息子を不憫な思いに触れさせることは絶対にしないと、それはもうこの世界がひっくり返っても絶対に揺るがないくらいの、地球の反対側まで根が張っているくらい腹に力を込めて決めているし、障害をマイナスに捉えるような未来には絶対にさせないと、その思いだけは今も頑として持ち続けている。もちろん家庭内で唯一歩ける息子に頼りながら生きていくつもりもない。そのために環境を整え、自分で料理も洗濯も身の回りのことは全てできるようにしているし、どうしてもできない部分の掃除は週一回ヘルパーさんをお願いしているのだから。家族は家族であって、介助者ではない、というところはしつこいくらいに気にしているつもりだ。

ヤングケアラー問題は重要な問題だと感じるし、知り合いにこのような環境にあった子を知っているし、無視してはいけないものだと思う。ただ、見た目だけに振り回されず、中身をしっかりと見てもらえたらいいなと思う。切に思う。

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