やる気について、やる気がない人が語ってみた。

こんにちは飛行機雲です。

今日はやる気について考えていこうと思う。
というのも、今自分がやる気が出ないからである。研究者(卵)という職業、特に文系の研究者に限っては、基本的に作業を行う上で、時間的・空間的制約がなく、自由裁量制が採られることが多い。そのため、自己管理が最も重要なタスクといっても過言ではないだろう。ある一定の期限までに、何かを計画的に行うということの難しさをこの年齢になっても感じているのである。

0.原体験

 やる気がないならやめてしまえ。そんなことを思う人も多いかもしれない。自分の根底には「何もしたくない」という怠惰な感情が溢れているのは否定しようがない事実である。それでも、人生は続くし、どうせ続けるなら有意義に過ごしたいと思うのは誰もが思う事だろう。自身ができるだけモチベーションをもって、人生の中で相対的に価値が高いと感じたもの、それが研究だった。だから、やる気というものと今現在が自身が行ってることは無関係であると考えたほうが良い。従来から、やる気については考えてきたつもりでいた。ここ最近は、もっぱら早寝早起きが重要であるという事を信じていて、それらが成功するか否かで自分の一日が決まると思っている次第である。(結局できないから困っているわけだが、、、、)

1.先行研究


 なぜやる気が出ないのか、インターネットの知識を借りてみた、インターネットでは、やる気が出ない理由について、①不規則な生活習慣、②疲労がたまっている、③楽しいことややりがいのあることがない、④緊急性を感じないなどもっともらしい理由が挙げられている。自分が妄信している生活習慣説もしっかりと書き込まれている。
 また、最新の研究で、やる気を促す物質であるドーパミンがどのように神経の中で受容されるのか明らかにされている。以下引用。

 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫)量子生命・医学部門量子医科学研究所脳機能イメージング研究部の南本敬史グループリーダー、堀由紀子研究員は、やる気が脳内伝達物資ドーパミンにより調節される2つの仕組みを明らかにしている。仕事や勉強、スポーツなど全ての行動の意欲(やる気)はその結果を左右する重要な要素です。行動の結果として得ることが期待される報酬が大きいとやる気は上がります。一方、報酬を得るのに必要となる労力や時間などの負荷(コスト)が大きいと、やる気が下がります。この仕組みは脳内の神経伝達物質のひとつドーパミンによる神経情報が報酬とコストの予測を伝え、そのバランスで意欲の制御を行っていると考えられている。

国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(2021)「「ご褒美がもらえる」と「大変だけど頑張ろう」の2つの『やる気』システムを解明 〜うつ病の仕組みとその改善法を知る上で重要な手がかり〜」

https://www.qst.go.jp/site/press/20210702.html

 どうやらやる気を促すためには、①行動を起こした結果もらえる報酬の大きさ、②報酬を手に入れるための労働コストの大きさが関連しているらしい。まあ、当たり前と言ったら当たり前の結果だ。1時間で100万円稼げるアルバイトがあるのであれば、誰もが飛びつくだろうし、100万稼ぐために1年間働いてくれと言われたら、やる気は起きないだろう。

2.天才について

 さあ、ながなが語ってきたが、結局お前は何が言いたいんだ。ここまで読んでくれた方はそう思っているだろう。私が思うのは、人間は強制力がないと頑張れない生き物なんだと思う。何もしなくても満足感を得られて、それなりの生活ができるのであれば、それにこしたことはない。しかし、強制力がなく、自分の意志で行動しているような人間がいる。そういう人間を私は天才と呼ぶのだが、彼らは行動を起こた結果得られるドーパミンの量が半端じゃないんだろう。その永遠ループに入っているのが天才なのかもしれない。確かに、知的欲求を満たしたとき何にも代えがたい興奮を覚える時はある。脳のシナプスが繋がる感覚、あれは、一種の麻薬だろう。しかし、人間の欲求を満たすものはそれだけではない。食欲、睡眠欲、性欲、承認欲求など、様々な形で充足感を得ることは可能である。それらを一度知ってしまったら、いわゆる労働コストの観点から学問的欲求を得ることに対して億劫になっても仕方がない。

3.資本主義社会と人間存在の危機


 これは、現代社会の大きな問題でもあるのかもしれない。資本主義社会において、消費する、消費させられる工夫が溢れている。そのため、一種の欲求は満たされる状態にあるのである。それらを満たすために必要なものはお金であり、誰もがそれらを求める。しかし、パブロフの犬のように、自我を失って目の前の短期的な欲求に身を投じ続けることには人間的なロマンは一切感じない。それは、機械化されたロボットのような、なんとも、無機質なものである気がしている。
 そんな社会の中で、自分の哲学、思想を貫き続けることは困難かもしれない。それでも、自我を保ち続けることが大切なのではないだろうか。その自我を保ち続けるためには自身の哲学を作り上げる強固なロジックが必要なのである。それを人は認知的不協和と呼ぶのかもしれないが、何も問題はない、新たな情報を手に入れたのであれば、適宜修正すればいいではないか。自我を持つことが重要だ。

4. 結局のところどうする

 ここまでだらだら述べてきたのは、やる気というものをそれだけ複眼的に捉えることが重要だからである。それらは密接に関連していると考えられるが、先述した自我を持っていても日常的な誘惑にはついつい負けてしまうのが人間である。じゃあさっきのは何だったんだとなるが、短期的なものを続けていく(積み重ねていく)ためには自我や哲学が必要だし、それがないと、結局のところ遠回りしてしまう。自分がやりたいことに気づいたときには時すでに遅しだ。研究者になりたいと気づいたのが、40代、50代だったらどうだろう、明らかにたくわえてきた知識・経験は他の人間より劣っている。そういうものなのだ。私は、自身の欲求を早く感知したいし、それのためだけに生きていたい。それが合理的だと信じている。サッカー選手になるために、バスケットボールの練習を必死に頑張るやつはいない。それと同じだ。年を取ればできることは限られてくる。それだけ、時間というものを意識した方がいいのである。
 じゃあ、長期的な欲求と短期的な欲求と関連付けるためにはどうしたらいいのか。もちろん工夫が必要だろう。自身がドーパミンを得ている状態を創造することが効果的かもしれない。行動を起こすためのハードルをできるだけ低くすることも一つの手かもしれない。定期的に、自身が刺激をうける環境に出て、自身が将来的に享受するであろう報酬を具体的にイメージしてもいいだろう。方法はたくさんある。あとは、行動に移すだけだ。長期的な欲求の実現のために、必要な手段を短期的な行動に生かしていく。(これはたった今思いついた解決策だ)。今からやってみるか・・・
 




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