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【短編小説】轢

※交通事故の描写があります。ご注意ください。



 チャイムが鳴ってインターフォンが仄暗く主張する。

 画面を覗くと見覚えのある顔が下を向いてこちらの反応を待っていた。

 特に約束をしてわけでもないけれど突然来ることは、普段からよくあった。

だからそれ自体に疑問はなかったけど、画面の向こうでぼうっとしている表情が気になった。

 扉を開けると卓郎が立っていた。

「どうしたんだよ」 

 俺が言うと、卓郎は突然泣き出した。

 ギョッとしておい、と声をかけると、膝をついてその場で嗚咽を漏らし出した。
 
 おいおい、と俺が肩をそっと掴む。

隣の部屋の中で、様子を伺うような物音が一つ聞こえた。

 玄関の前で話し続けるのは嫌だなと思ったので部屋に招き入れる。

 元々卓郎の家はここから五分くらいの場所にある。

 お互い大学入学を機に上京してきていて、学部学科が同じ、サークルも同じなので、仲良くなるのには時間が掛からなかった。

「とにかく入れって」

 俺の言葉も聞こえてないようで、全く身動きを取らない。

 仕方ないので卓郎の体を持ち上げて部屋に入れた。

つい数十秒前までオンラインゲームをしていた、自分の体の温度で保温された部屋。

「僕、轢いちゃったんだ」

 卓郎が言った。

 バイクで大学から帰っていて、人を轢いたらしい。

「どうしよう、ごめん、ごめん、僕、薫」

「…今日バイトだったんだよな?その帰りに?」

「うん、そう、帰ってたら、ごめん」

「轢かれた人は怪我したの?」

「わかんない、轢いたと思って、頭真っ白になって、そのまま、今、ここに」

「マジかよ」

「…多分、轢かれた人、スマホいじってて、轢いて僕が走って行く時チラッてそっち見たら、僕の方みずに倒れてたから、多分、何が起こったかも分かってないのかなって、思って、そしたらアクセル勝手に踏んでて」

 じゃあもしかしたら、バレないかもしれない。

「ちなみに周りに人は?」

 多分、いなかった、と卓郎がぽそっとつぶやいた。

 しばらく沈黙が流れる。

 パソコンの不健康そうな光と、インターフォンの画面下にある、赤いボタンがぼんやり光っていた。

そういえば、画面を見て卓郎だと思ったので応答ボタンを押さずに扉を開けた。

「……聞かなかったことにする。

今日卓郎は俺んちにも来なかった。
バイト帰りに家とは真逆のネカフェにでも行ってて、この時間、屋外にはいなかった。

分かったな?」

 卓郎が初めて、俺の目を見た。

 それから安堵したみたいに涙を流した。

 頬に伝う涙はドロドロしていた。

 俺は、知っている人間の味方をしてしまう。

 昔からそうだった。

 喧嘩を見ていても、いじめが起きていても、道徳的な気持ちや倫理的な考えよりも、自分とどちらの方が関わりを持っているかを考えて、味方についていた。

今回もそうするまでだ。




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 つい数日前、僕は人をオートバイで轢いた。

 怖くなって、薫の家にすぐ行った。
 
 薫は、秘密にしていようと言ってくれた。

 恐怖に震える僕の心を、薫が救ってくれた。

 あのあと、あの道を通ると電柱のあたりに花束が添えてあった。

 ああ、死んだんだ、と思うと足の感覚がなくなった。

 僕は、不思議と捕まらなかった。

 なんでなのか分からない。

 けど僕は、この十字架を背負って今日も生きている。

 人を殺してしまった懺悔を他の人への優しさに変えて、ちょっと道に困っている人がいたら助けるとか、課題を積極的にやるとか、そういうことをして、つぐなっていこうと思った。

今日はバイトも学校もないので、朝からずっと家にいた。



 ふと、自分でもなんでか分からないけど、つけているパソコンで、この間の事を調べてみた。

 この辺りの住所で「轢」と入れて調べると、すぐに出てきた。

「ひき逃げ事件 犯人は未だ見つかっていない オートバイで轢かれたと思われる 被害者は近所に住んでいる 原田 篤子(一八)さん」……


 そんなに若い人だったのかと愕然とした。

 そして、ふと違和感が足元に現れる。

 薫も原田って苗字だ。

 そういえば、年の近い妹がいるって言ってたよな、たまたま同じ大学に通うとか言って、つい最近この辺に引っ越してきたって……。

 薫が口では面倒くさそうに、でも満更でもなさそうに話している顔を、意外とシスコン気味なんだなと感じた事を思い出した。

 違和感はそのまま、体の上を蛇のように這って登ってくる。

 いや、まさかな。

 ふと、小さく家が鳴った。

 チャイムの前に、どこかがパキッといつもしなる。

 チャイムが鳴ってインターフォンが仄暗く主張する。
 画面を覗くと見覚えのある顔が下を向いてこちらの反応を待っていた。

 特に約束をしてわけでもないけれど突然来ることは、普段からよくあった。

 だからそれ自体に疑問はなかったけど、画面の向こうでぼうっとしている表情が気になった。

 薫だ。

 応答ボタンを押さずに扉を開けようと、玄関へと近寄る。


 薫が包丁を手に持っている事には、自分がそれに刺されるまで、気がつかなかった。



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