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【短編小説】大人になる前に
忘年会は終わり、さっきまで、自分達が小学校の教員とは思えないほど大騒ぎしていたのが噓のようだった。
居酒屋を出てため息を吐く。
白い息が出た。
体の先が冷たくてつらい。
少し風が出てきてしまったせいで、しみるような寒さが静かに襲ってくる。
時計を確認する。
十二月二六日。
あと一時間もすれば、日が変わるような深い夜。
俺の隣には、同じ学年を担当している松永先生がいた。
忘年会が終わってから一人で歩きたくなったのでそっと帰ろうとしていたところ、唯一同じ帰り道ということもあって、その希望は叶わなかった。
女性の松永先生を一人で帰宅させる気ですか、と教頭から言われ、心の中では「知らんし」「そんなこと言うなら上司のあんたが付き添いしたらいいじゃないすか」などと思ったが、抵抗するほうが面倒なので緩く返事をして請け負った。
松永先生と俺は年齢や家が近いこともあって、よくこんな風にセットにされる。
嫌いでも好きでもないので特に何の否定もしていなかったが、そろそろちゃんとそういう気がないと主張しておかないと面倒なことになりそうだ。
「あ、雪が降ってきましたね。どうりで寒いと思った」
松永先生の言葉に反応して、まず彼女のほうを一瞥する。
肩まで伸ばしている髪が揺れている。
そして同じ空の方向を眺める。
確かに雪が降りはじめている。
彼女の手も、素手だった。
「生徒たちは今頃何をしてるんでしょうかねえ。
雪に気づいてる子たちはいるかなあ。明日の朝までには止んで、電車も動いてくれているといいんですけど」
松永先生は俺と違って、生粋の教師だと思う。
生徒想い、という言葉がふさわしい。
周りからよくしゃきっとしろと言われてしまう俺には思いつかないような事を、よく言っている。
「松永先生は、年末年始はどうされるんですか?実家に帰ったりするんです?」
学校についての質問が特に思い浮かばなかったので一般的な質問をしてみる。
一人暮らしをしているということだけ知っていたので、特に考えずにもうひとつ付け足した。
少し間があった気がしてあれ、と思っている間に、松永先生が答えた。
「実家は特にないんです。
親はもう死んでしまったし。
適当に用事を済ませたり、溜めてる録画を観ようかなって思ってます」
少し間を空けてから、
「……それはなんというか、寂しいですね」
と、返事した。
正月の過ごし方についてではなく、まだ若く見える松永先生の両親が亡くなっている、ということに関して言ったつもりだった。
彼女は意味をちゃんと理解してくれたのか、静かに笑ってはい、と言う。
少しほっとする。
改めて、言葉の難しさに気づいた。
学校という場所で教員として働き始めて、何度も感じていた気持ちだった。
こんなところでも遭遇すると思わず、億劫になる。
両親はまだ生きていて、特にトラブルもなく生きてこられた自分のせいで、当たり前のように家族のことを聞いてしまう自分も嫌になる。
いろんな環境の生徒を見て、当たり前などないと知っている職業のくせに。
今この瞬間に会話している相手が、生徒でなくてよかったと少し安堵もする。
松永先生が口を開いた。
「不思議ですよね。
昔は大人になればどこへでも行けると思ってたんですけど。
……今は『大人』って名前に縛られてどこへも行けなくなった。
子供たちには、大人になる前に気が付いてほしいです」
風がごうっと鳴って、松永先生の口からおじさんのようなくしゃみが出た。
自覚があるようで顔が一気に赤くなっていたので面白くなる。
「…とりあえずあそこでちょっと、ぬくいもんでも買いますか」
俺が指さした先にあったコンビニは、誰かを向かい入れるため、無機質に煌々と佇んでいた。
おわり