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【短編小説】赤ちゃんとパン

赤ちゃんの手とパンを並べて写真を撮る、というのを、一度はやってみたかった。

午前3時20分という、人によって朝なのか夜なのか、そんな秒針あったっけ?なのか、感覚がくるっと変わる時間。我が愛娘はやっとすんなり眠ってくれていた。夫は夜勤で、家には私と赤ちゃん、母と娘の二人しかいない。
半日前に夫がスーパーで購入してくれた「やさいパン」を、そっと取り出してくる。
そこまでは良かった。

シャッター音がしないカメラのアプリを起動して、娘の手の周りにやさいパンを並べていく。

そこでやっと、娘が仰向けになっていることに気がついた。手のひらの方を上にむけて眠っている。やさいパンに酷似しているのは手の甲のほうだから、これでは写真が撮れない。(夫がもしこの場にいたら、「かわいいからなんでもいいじゃん」などと言ってきそうだけどそういう話じゃない)

なんとかならないかと思案するけど、娘はこの時間眠りが浅く、少し触れると起きてしまう。身体を捻ることももちろんできないし、触る選択肢はない。とりあえず一枚撮っとこ…と全身を写真におさめた。スマホの画角に全身が収まる体のサイズってすげー、といつも思う。そのまま小声ですげーと言っていることに私は気がついていない。

諦めようか…と思っていたらきゅうに視線を感じた。娘がまっすぐにこっちを見ていた。勝手に遊ぼうとしていた罪悪感からか、(なにしてんだこいつ…)などという視線を向けられているように見える。思わずご、ごめんなさい。と呟いたけれど、特に気にした様子もなく、娘はぶ、とだけ言って一粒よだれをたらした。そのへんにあったタオルで口をふく。ぷくっとしたほっぺたが不満そうにゆがんだ。かわいいだけだった。

SNSで見ていた投稿は、柔らかいグレーの色をしたリネン素材の布の上に、いともたやすく赤ちゃんの手とそれに似たパンを並べているように見えた。
けれどもしかしたら、あの写真一枚撮るのにもかなり苦労したんじゃないか。
会ったこともないお母さんが、自分と同じようにあわれな女豹のポーズに近い体勢で赤ちゃんを撮影している様子を想像する。
なぜか分からないけど泣きそうになった。やばい。最近涙腺が仕事してない。疲れてる。まあでも、あれだな、皆がんばってるよな。えらいよ。と、よく分からないまま頷いた。並べていたパンをゆっくり袋に戻す。はーあ、と娘の隣に寝そべって、目を閉じて、開けたら、時計の針がびっくりするほど進んでいて焦った。娘は珍しいくらい大人しく寝ていたのでほっとする。

もう少ししたら、夫が帰ってくる。出産してからはもはや夫婦じゃなくて同郷の勇者同士みたいになっているので、こういう朝は出会い頭にハイタッチしたりする。多分お互い、文字通りハイになってるんだろう。その割に真顔だし、ハイタッチが終われば一瞬で離れるけど。

母親にも妻にも勇者にも、あとは写真家にもなれるのは、娘がいてくれたからかな。まあ、あとは夫も。ついでにね。
ふふ、と笑ったらちょうど、ただいまあと、抜けた声が玄関からした。

おわり

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