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【短編小説】夜
拳を思い切ってふりかぶると、想像よりも相手が吹き飛んだ。
テーブルも一緒に倒れて、なんかドミノみたいだな、とぼんやり思った。
麻痺したみたいに耳鳴りして、近くにいるはずの人たちの声がぼわぼわと遠い。
殴った右手は全く痛くなくて、これはあれだな、アドレナリンってやつだ。と確信した。
今のうちにやっておかなければと、倒れた相手に覆い被さってさらに殴ろうとしたら、どこかから来た知らねえやつに止められた。
そいつは力が強くて、自分がジタバタしたくらいじゃもう敵いそうもなかったので、仕方なく諦める。くたっと力を抜くと、予想外だったのか思ったよりも店内は静寂に包まれた。
けいさつ、と誰かが言ったので、脳みそが警鐘を鳴らす前に体が動いた。
逃げたぞ、と色んな声が響く。
店を出た瞬間に近くの壁に張り付いていた排水管を両手で掴んだ。
そのまま壁を登っていく。
随分と続けたあと下を覗くと、好奇のスマホが沢山こっちを見ていたので、気持ち悪くなって近くのビルの屋上に逃げた。
あのスマホたちから、自分の切り取られた映像が世界に拡散されていくのを想像する。
そいつらはオレがなんで中華屋であのおっさんを殴ったのか知らないまま、蔑んだ面白い目でオレを見る。オレは何度も知らねえ奴に犯されたみたいになる。
そのままビルとビルの間を飛び越えていくと、でかい月がオレをみていた。
だんだんと痛くなってきた拳に意識を向けると、なぜか両目から涙が出てきて、今日あそこで食べた餃子がもう食べられないことに絶望しながら、うおお、と叫んだ。
おわり