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【短編小説】永遠
「私、今日から塾だから。一緒に帰るのは、もう最後ね」
歩道橋の上で、私とひとちゃんは、どこかで観た安いカウボーイの映画のように対峙していた。
多分あれは、ツタヤで廉価版を買うのが大好きだったおばあちゃんちで観たやつだった。
ひとちゃんはさっき私にそう告げたきり、体は正面を向いているものの、こちらを見ない。
やましいことがある時、ひとちゃんは分かりやすく目を見て話さない。
ひとちゃんに、そう言われた理由は分かっていた。
「塾」が嘘だという事も。
でもとりあえず、その事には触れずに小さく頷くと、ひとちゃんは明らかに気の抜けたような、拍子抜けしたような表情で私を見て、今度こそ私から離れていった。
私は、ひとちゃんが、ひとちゃんのお母さんに、私と-母親のいない子供-と関わるなと言っていた事を知っている。
親に従順なひとちゃんの事も、良く分かっている。
不思議と憎しみとか、怒りとか、そういう感情は湧いてこなかった。
その代わり、パパの顔が浮かんできた。
今日の朝、いってらっしゃいと言われた時の顔じゃなくて、何年か前、全く同じことがあったときの私に、励ましの言葉をくれた時のパパの顔。
あの時のパパは、私を励ましているふうで、実は自分自身に言い聞かせていた事を、私は知っている。
パパは、あのとき、こんなことが「えいえん」につづいたらどうしよう、と、「永遠」という言葉を覚えたばかりの私に、こう言った。
『大丈夫だから。母親のいないお前を、「母親のいないお前」じゃなくて、「お前」として見てくれる人は、絶対世界にいるから。これは、いつか終わる永遠だから』
この言葉を、忘れた日はない。
パパの言葉を、私はお守りとして持っているわけじゃなかった。
お守りというより、この言葉は、待ち合わせ場所を書いた紙みたいなものだった。
この紙があれば、私は、いざというときに「そのひと」と会える。「お前」として見てくれる人に。
そう思っていた。
私にとって、それはひとちゃんだった。
そうさっきまでは、思い込んでいた。
親に何を言われても、優しくて誰かの言う事は絶対に聞かないことができないひとちゃんでも、私のことを優先してくれるんじゃないかと、さっきまでは、期待していた。
でもそうじゃなかった。
力が抜けそうだった。
立っているのがやっとだった。
こんな時でも私は、涙が流れないんだなあとぼんやり感じた。
代わりに心を支配しているのは、もやのような意識だった。
これをなんて言っていいのか、今は分からない。
この漫然とした気持ちだけが、私がここにいる証明だという気がしてきて、しゃがみこんで、膝をかかえて、赤ちゃんのように泣けたらいいのに、と思った。
そしてそうしていたら、お母さんみたいな人がどうしたのって、はいはいって、大したことないみたいに、肩を抱いてくれたらいいのに。
もしくは、誰か知らないサラリーマンでも通りかかって、ぎょっとしてくれたらいいのに。
そしたら私は、この世界のだれか一人には、自分がつらいってことを伝えられるのに。
そういうときに限って誰も通らない歩道橋の上で、独りぼっちのまま立ち尽くした。
そして小さくパパ、と呟く。
「いつか終わる永遠」なんて、「永遠」と、何が違うの、パパ。
おわり