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【短編小説】エレベーター

今日、外に出たら梅の花が咲いていました。

もうそんな季節なんだなと、笑っただけで気持ちがふっと軽くなる気がするから不思議です。

今あなたに手紙を書いているのはどうしてか、正直自分でもよくわかっていないです。

かっこよくいえば、手が勝手に動いたんです。

やらなきゃとかそんな気持ちもなく、ただ朝起きてトイレに行くような、そんな感覚です。

あなたが動かなくなってからどれくらい経つでしょうか。

永遠のようでもあり一瞬のようでもあります。

あなたに出会う前までと出会ったあとでは、人生の解像度が違います。

よく歌で、モノクロだった人生がカラーになったとかそんなのがありますが、私の場合は、鮮明だった世界の色が、あなたに出会ったことで、思い出みたいにセピアに、いや、ビデオテープを久しぶりに観るような感じになりました。

少しかくついているけど、ノイズが混ざるけど、愛しくてたまらない映像ばかりが流れていく。

今を生きているのに、楽しい思い出を巡り続けているような気分でした。

あなたと初めて喋れたとき、とても嬉しかった。

覚えてますか?

マンションの入り口のところで、初めて私たち、目があったんですよ。

エレベーターに乗ろうとしていたあなたを見つけて、私は「閉める」のボタンを押していた指を、急いで「開ける」にした。

あなたは遠慮がちに、エレベーターに入ってきてくれた。

私の心の中に、入ってきてくれたような気がしました。

あなたをあんなに近くで見たの、初めてだった。

ぱっちりした目、伏せがちな瞳、少しだけ張ったエラの部分、コンビニに行っただけなのか、いつもより軽い服装で、あのときは眼鏡だった、服もジャージだった、今思い出しても、ドキドキしてしまう。

うっとりしてしまう。

密室になったあの数秒、私は、ああ時間が止まればいいのに、と思ったんです。

時間が止まれば、この空間はあなたと私だけの世界になる、あなたはもうどこにもいかない。

あなたは奥さんのいる家に戻ることもない。

左手に持った、あの女の趣味のエコバックの中にある二つのアイスも、私たちで食べることになる……え?なんで奥さんの趣味だってわかるのかって?

お見通しですよ。

そんなの盗聴してなくたってわかります。

あなたの好きな色は黒。

こんな淡い色の、よく分からないゆるキャラが書いてあるの、好きじゃないでしょ?

渋々持ってるって、私はわかってますから。

私はあなたが二年前、引っ越しの挨拶にきてくれた時からずっとあなたのこと調査してたんだから。

こんなことくらい簡単にわかります。

なんて、手紙なのに質問が飛んでくるみたいに書くなんてちょっと変だったかな?

とにかく、そんな経緯で私はあなたに声をかけたんです。

あなたの顔、面白かったなあ。

だって、絵に描いたような「キョトン」だったんだもん。

そう。
 
あなたは、私の顔も、誰なのかも、全く覚えてませんでしたね。

少し話しかけて、今日はいい天気ですねとか、でもまた明日から寒くなるらしいですよとか言っているうちに、あなたの顔がどんどん私から逸れていって、エレベーターのボタンをじっと観るようになって、私から見ても、興味という気持ちが壊死したような雰囲気になってましたね。

私は、それを見て、「このまま時間が止まればいいのに」じゃなく、「ここであなたを手に入れたい」に気持ちが変わりました。

懇願でなく焦燥に変わったんです。

もうチャンスは来ない、と。

あとはもうあなたもわかりますよね。

ここまで書いてきて、どうですか?

もう、あんな目で私を見ませんか?私があなたの体を貫いたとき向けた、軽蔑と恐怖と、奥さんへの思いのこもった目を、もうしませんか?

約束してくれますか?

もうわたしを好きになってくれますか?

むかしおかあさんがわたしに向けてきたけいべつするみたいな顔を、向けてきませんか?

大好きなので、傷つくので、もうあんな顔、やめてくださいね。

全くもう、わたしじゃなかったら、あんなものじゃすみませんよ。

あなたを殺したのが私でよかったですね。

あなたはだから、救われたんですよ。

おわり
  
  

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