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【短編小説】怒る優しさ

あの二人は自分のことを喋っている、とすぐに気がついた。背中に緊張が走り、絶対に見つかってはいけなくなった。

エレベーターから事務所までの動線にある自販機。背が高い、小さな物だけを置くためのこじんまりしたテーブル。そのかたわらに先輩たちは立っていた。背の高い二人は、足が長い。とても。後ろ姿を見て自分は、何かに気圧されたように壁に隠れた。

「お前さあ、よくあんなに怒れるね」

a先輩が笑って、d先輩に話しかけている。

自分は最近、d先輩に怒られすぎて、会社に来るのが心から嫌になっていた。d先輩異動にならないかなあ、もしくは自分が、と考えている。生まれてから学生までと、社会人になってからたった数年を比べてみても、怒られる回数は段違いだった。

a先輩が隣の席だったらよかったのにと何度も考えていた。なにせ、怒っているところをみたことがない。自分のことも、いいよいいよと許してくれる。カバーもたくさんしてくれる。しかも今、フォローしようとしてくれている…

「俺なら面倒だからほうっておくけどね」

一瞬、a先輩の声だとわからなかった。わたあめくらい軽い声色。ゆかるんだ地面に足を取られたような気分になった。
a先輩は続けている。

「d、お前さあ、同期のよしみで言っとくけど、優しすぎるって」

a先輩に返事を返すd先輩の声が聞こえず、けれど気配で、無視しているわけではないとわかった。そして、言葉の意味が理解できなかった。いつも優しくしてくれているのはa先輩の方だった。それが、『優しい』。d先輩が。

「あとから困るのって見てられないから」

d先輩はそう言った。いつも通りの、平坦な道を歩いているような調子で。でも、芯のあるバリトンの声で。

急に、天地がひっくり返るように、立っていられなくなってしまった。二人の先輩の気持ちに、気づいてしまった。頭から、耳鳴りが降り注ぐ。信じていたものが、見ていたものが、その通りではなかった。いや、厳密に言うと、その通りではあった。けれどそれは、表面的なものにすぎなかった。

「優しいね、お前は」

d先輩が言ったその言葉が、自販機が並ぶ中途半端な休憩スペースに、響く事なく落ちていった。


おわり

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