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【短編小説】臆病者
敏感なところを撫でられる。
少し固まる。
ここ好きなんだ、と囁かれたので、小さくうなずいた。
うれしくなったのか、思い切った様子で挿入しようとしてくる。
本当は別に、特に気持ちよくない。
ちょっとくすぐったいだけだった。それも真顔でいられるくらい。
だけど繁華街の隅、誰かに追いやられたように建っているすさんだラブホの中で、そんな空気の読めないことをするほど私は愚かじゃない。
挿れるね、と言われてまた肯く。
眼前に、今日初めて出会った顔がぐっと迫ってくる。
そんな事いちいち報告すんな、と言いたくなる口をつぐむ。
ちょっと怖がっていると思われたのか、大丈夫だよと頭を撫でられる。
生理的嫌悪感が、少しだけ襲ってきた。
私はなんでこんなところにいるんだっけ、と思い返す。
ただ誰かと触れ合っていたい気持ちが、規則的な噴水のように、噴き出してきてしまった二時間前を思い出す。
私は、昔、ただ公園で遊んで、思い切り暴れて、日が暮れたら帰るという健全な生活が、本当はいま、したかった。
鬼ごっこで鬼がおいかけて、逃げている子を捕まえて、思いっきり体が絡んでしまうような接触を求めていた。
そんな事、もう無理だということを知ったのは5年前くらいだった。
みんなが思春期に突入し、だれもが異性同士との接触を望んでいた。
微醺を帯びた、気持ちの悪い教室。
くっついて、ただぎゅーっと、布団の上でごろごろするだけ。それだけでいいのに、皆はそれ以上を求めたがる。
だから仕方なく、私はそれ以上をする。
2時間前、だれでもいっかとスマホを取り出した時、天気は確かに曇っていた。
その時隣にいた、みずほの事も思い出す。大学生にもなって処女で、タイミングはあったけど勇気がなく、最後まで至らなかった事はある、と言っていたあの子。
自分のことを臆病者だと言っていた。
何人かとしたことがあるよ、と私が話すと、羨望のまなざしを向けられた。
あの時の目を、私は今日何度も思い出している。
ゴムのついた小さな欲望が自分の中に入ってくる。
気持ちよくはなかったけどとっさに喘ぐと、気持ちが高ぶったのか腰を動かす力が強くなる。
一生懸命私の上でうごめいている生き物が、昼、私に会う前はこんな間抜けな動きをしていなかったのを想像すると、笑いたくなった。
部屋の近くの壁に、持ち主を一時なくした、留守番中の洋服がかかっている。
スーツとワンピース。男と女。
特に激しくされているわけでもなく、襲われそうになったわけでもない。
いやだと言えばすぐに引いてくれそうな気配だった。
ハンガーにかかっているスーツの丁寧さから、日々の仕事中でも、この人は、緩い風みたいに、見えないけど、相手に任せて通り過ぎていけるような人間なのかもしれないと勝手に思った。
余計に私は、この人を裏切れない、と感じてしまう。
何度目か分からない。
みずほの、少しだけ色素の薄い網膜を思い出す。
好きでもないところを触られて喜ぶふりをする私のほうが、きっと臆病者だ。
天井の不健康そうなライトを眺めながら、静かにそう思った。
おわり