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【日記】一緒に走ろって言われた時の思い出みたいなものから考える人付き合いについてのことかもしれない
一緒に走ろう、と声を掛けられる。
彼女に割り込んでくるような不躾さが無かったこともあって、二つ返事でうん、と応えた。
いざ始まってみると、彼女はこちらを見る事もなくスピードを早めた。
あっと思った時には、三歩先に背中が見えて、そうこうしている間にピューッと遠ざかっていく。
結局その日のマラソンで、私は周回遅れだった。
小学校時代のこの体験がよくあることだと気がついたのは、大人になってからだった。
テレビでお笑い芸人さん(誰だったか覚えていない)がマラソンに関するあるあるネタを披露していて、全く同じ事をやっていたので驚いた覚えがある。
スタジオで大笑いしている人達を見て、そこで初めてアーこれってありがちな事だったんだなと気がついた。
その頃の思い出が傷跡として遺っているとか、そんな気は全く無かった。
だけど、誰かが走っているのを見るたびに思い出してしまっているということは、私にとって、よく言えば愉快で、悪く言えばもやっとする記憶だという事だったんだと思う。
私から見ればこんな感じの思い出だけど、相手から見るとどうなんだろう、と最近考えるようになった。
大人になってしばらく経つからかもしれない。
自分が走るのに必死だったけど、彼女からすれば遅く走るのはもどかしかったろうし、私が思っているよりも彼女はこちらを気にしてくれていたのかもしれない。
知らんけど。
疎遠になってしまったので確認する術もないけど(あと別に死ぬまで会わなくても支障がない)、彼女はきっともうこの出来事を覚えていないと思う。
往々にしてよくある話だね。
私も、誰かにやってしまったくせに覚えていない事がたくさんある。
小さなことが重なって嫌になったから自ら距離を取った人もいるし、逆に連絡が取れなくなった人もいる。
後者の場合は、離れられてから初めて気がつく。
あの時のあれがいけなかったんだろうな。
けれどもう謝ることもできないので、次の人付き合いで気をつけていこう、と心に刺青を焼き付ける。
相手からすれば、もう私には会いたくないだろう。私だったらそう思う。
だから会わなくていい。
ほんとうは謝りたいけど、そんなのただのこっちのエゴだし。為すべきことじゃないのは火を見るより明らかだ。たぶん。
そんなふうに生きている。
世の中に、こういう小さな輪廻がどれくらいあるんだろうなあ、こういう煩悶からは一生逃れられないんだろうなあと思いながら、今日も必死に息をしている。