見出し画像

【短編小説】ハワイ

めっちゃハワイだな、と右手に持っていたクリームソーダを口に入れた。

日本らしい湿った風も、海を前にした今は、あまり気にならない。

ストローの爪先から頭のてっぺんを一瞬で駆け巡り、クリームソーダが理香の口に迫る。

海の家の隣にある畳のスペースで、波の音と、いろんな観光客の喧騒を聞きながらぼんやり水平線を眺める。

「一人なんすか」

ふと声をかけられたので振り向くと、Tシャツの袖を肩にクルクルと巻いた青年が立っていた。

肩が白かった。

二の腕から手の甲までは真っ黒だ。

もちろん顔も。

さっきまで海の家で働いていた子だ。

自分と同い年くらいに見える。

あまり好意的な声のかけられ方ではなかったのが気になり黙っていると、無表情なまま焼きそばを渡された。

そんなもの頼んでない。

「頼んでないよ」

そのまま口に出す。

「鉄さんの姪っ子さんなんですよね」

なんだ、話は通っていたのかと警戒を少し解いた。

声を聴いて、見た目だけでなく実際に、理香と歳が近いのかもしれないと思った。

「そうだよ、家近いから、遊びに来てる」

理香の言葉に、青年はふうん、と返事した。

その相槌に、姪の特権でタダ飯(タダクリームソーダ?)をむさぼっていると思われた気がして、勝手に怪訝な顔をした。

ちゃんと自腹で購入したものだったから心外だった。

それを察したのか、青年が口を開く。

「やきそばは俺からじゃなくて、鉄さんが渡して来いっていうから」 

お互い違うことを考えていた事に気が付いて拍子抜けした。

そして、

「なんだ、おじさんのお使いか」

と、ナンパだと勘違いしていた自分が恥ずかしくなり肩をすくめる。

そうっすね、とやっと、青年が小さく笑った。

働かなくていいのかと聞いたら、休憩だからお使いに行ってこい、と鉄おじちゃんに言われたと返された。

あの人は人使いが荒い。

沈黙ができたので、また海を眺めた。

数年前、コロナでこの浜辺から人が消えた時があった。

それを見た時、本当に前のように戻るのか不安だったけど、喉元を過ぎればというかなんというか、今思えば杞憂だった。

この時間はまだ朝早くて人もそんなに多くないけど、集客は上々に見える。

きっとあと一時間もしたら、砂浜が人で溢れかえる。

ぼうっと太陽に目を向けた。

あれ、なんでさっきハワイっぽいと思ったんだっけ……。

この海水浴場にはハワイらしいヤシの木もなく、日本の海という視界なのに。

「おじさんにはあとでお礼言っとくから」

そう言って青年に目を向けた。

うす、と応えてくれる。

突然、私のせいで無駄なおつかいに駆り出されてしまった青年に対して申し訳なくなった。

なんとなく気遣いしたくなって話してみようとする。 

「一人が好きなのに、そうやってちょっかいかけてくるんだよね」 

いざ口を開くと、目の前の青年すら否定してしまうような言葉が出てしまった。

後悔して青年を見てみると特に傷ついた様子はなくて、この瞬間、この人聞き上手だ、と悟った。

そうなると、申し訳なさを残したまま、でも本心は吐露しようという気持ちになってしまう。

「ストレス溜まってますね」

青年が少し微笑みながら、隣に近づいてきた。

理香が思わず一歩分おしりをずらすと、流れるように隣に座った。

おとなひとりくらいの隙間を間に抱える。

だけど青年は続きを喋る気がないようだった。

だから、理香が続きを考える。

自然と過去をさかのぼっていた。

少しの間、海水浴場全体の喧騒が二人を包む。

高校に入学してからのことを考える。

中学までは運よく知った顔が多くて、小さい頃から、理香が一人でいるのに慣れていて助かっていた。

環境が変わって、みんなボルテージというか、テンションも高い人がいて、いやだ。

自分のペースが崩れてしまうことへのストレスがこんなに大きかったなんてと、そういう、自分が周りに合わせられないショックもある。

素直にそれを伝える。

「そうっすね」

相槌だったんだろうけど、青年のその肯定が嬉しかった。過剰じゃないリアクションも。

座っている距離も遠くなく近くなく、パーソナルスペースを守ってくれている。

近寄ったり、言葉で励ましたりすることだけが優しさじゃないって、みんながこんなふうに気づいてくれたら、どんなに嬉しいだろう。

「みんな死ぬ時は一人だし、だから今くらいは誰かといたいのかも」
 
青年の口から、なんとなく意外な言葉が出たので目をほんのり見開いた。

驚きが、潮騒みたいにやってくる。

私は「いつか全員と別れる」ことについて、あまり考えたことがなかった。

確かにそう思えば、自分へのストレスは減るかもしれない。

考え方ひとつで、こんなに受け取り方が変わるものなんだなと発見する。

「うん」
 
嬉しかった。

私のことを受け止めて、そっと畳の上に陶器をおく感じで、自分なりに、花と水を添えて返してくれたような気持ちになった。

ふと海の家から流れる音楽が聞こえた。

鉄おじさんが自分のスマホから好きな曲を選曲して流している。

never young beachだった。

最近私がおじさんに教えたバンド。

昔、理香はこれを、ハワイ旅行に行っていたときずっと聞いていた。
 
ああそうか。

だからさっき、ハワイだったのか。

ふっと笑うと、青年が表情を変えずに不審がった。

だから、ああ、違う、なんかやけに今、ハワイでね、と言う。

今日は一人じゃなくてもいいかな、となんとなく海と、遠くに見える浮き輪を眺めた。

 おわり 

  

いいなと思ったら応援しよう!