自分、をやめた、的な記事。自分が壊れた時にまた読む用【100日継続】
ご縁のある方々と、掲示板アプリを使って100日継続イベントを共有している。
毎日のログに書いている雑記を、ここに転記しておきたい。大事な記録だと感じたからだ。もちろん自分にとって。
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おや!自分らしくないぞ?!と感じたけど身体のままにさせておいた。
もう別に、誰になっても良いや。
何が自分らしい?そんなんわからん。
なんか前方3面の壁がパタンと倒れたような感覚があり、もう身体に自由にさせといたろ、と思えた。
長い間、もしかしたら思考が身体を束縛していたかもしれない。
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確かに、何者かになろうとしていた自分は、いた。
でも、30年も前から、「何も無い」ということを目指していたのかもしれない。
世間に名の通る会社を手放したら?
所属を手放したら?
地位的ブランドを手放したら?
タイトルを手放したら?
立場を手放したら?
何が残るのか?
最初は、そこそこ名の知れた会社でイキってる同じ会社の人たちをみて生じた違和感からだった。
お前から会社を取ったら、何が残るよ?
そして、一人暮らしのアパートを借りる時に勤務先を伝えた途端、不動産会社の人の対応が変わった(とても良くなった)ことへの嫌悪感から、その思いが加速した。
それからずっと問いをかけてきたのだった。
もう10年も前になるが、キネシオロジーを謳う変なスピリチュアルの講座を手伝うことになった時、講師が自分の腕につけているパワーストーンブレスレットの凄さについて話していたので、
お前からその腕輪を取ったらお前は一体どうなるんだ?その強さは保てるのか?
などと会場の後ろでブツクサ呟いていた。
その一方で、自分は何者かにならなければ生きていけないという怖れもあった…命を失うのは怖かったからだ。
いま、何者でもない自分を手に入れている。
更には、「自分」を手放したら…??
…何が残るかといったら、気づき(観)だった。
ある、が、ある、以上。
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追記。
自我は、消えゆくのが怖くて抵抗する。
いま、今現在は大人しくしているが、また怖がる局面が出てくるだろう。だからこそ「観」の感覚を身体に刻んでおく。
内側にたっぷりと、睡眠、休養、加温、栄養、水分、少しの労働と少しの楽しみを与えてやり、少しずつリハビリしていく。
意識の向け方を外側でなく内側の生命に持ってくれば、本来のバランスを取れるようになっている。だって自分は、いきものだから。