noteのきっかけ
noteを初めてあと少しで一年になる。
きっかけ的な事は書いていなかったのでちょっと書いてみようかと
一年前の今頃は、自分でも気づかない内に頭の中というか、気持ちが故障してしまっていたので、仕事を長期期間休んでいた時期だった。
そんな中、前々からブログ的な事をやってみたいと思っていたので
パソコンで色々調べた結果、noteにであった。
初めて、自ら書いた文章にハートがついた時には異様に嬉しがっていたのを
今でも鮮明に覚えている。
YouTubeもやってみたいとおもっていたので、その前に自らの文章がどれくらい反応があるのかを知ることができるので、今までの趣味や経験や日常の想い感じた事を色々と綴っていっていた。
経験した人しか知らない事もたくさん書いたので、さぞたくさんの人が見てくれるだろうと期待を抱いて
結果は、予想を下回る結果だった。
YouTubeをやる前で良かった このままやっていたらすぐにほっぽりだしてたんだろうなという結果だった。
夏になり人生初の外仕事に就いた。
体力だけは自信があった はずなのにこれまた人生で初の熱中症になる始末。34度を超す猛暑の中、長袖長ズボンで力仕事をすると、できればこのまま横になりたいと思うくらい体力をうばわれ、気力も奪われ、何もできない状態となってしまった。
しかし、まわりの職人は50代から70代の人もいる。自分とその人の違いは、慣れ等もあるだろうが、体力を最小限にキープしながら仕事をこなしている事だと後から知った。自分なんか力ずくで動いていたのですぐに体力が消耗するし、暑さにも身体がやられてしまっていた。
OS-1という飲み物をその時初めて飲んだが、熱中症の人が飲めばおいしく感じ、そうでない時に飲むとまずい飲み物である事もしった。
自分が入職したのは、造園業。作業内容は多義にわたるんだろうけど、とにかく夏場は草も伸びるのが以上に速い為、肩掛け(草刈り機)で熟練の人が刈っていったものを一か所に熊手等で集めて、後からパッカー車(ゴミ収集車)に積み込むという作業が殆どだった。
それまで草刈り機を使ったのは、数回だけあったが、もちろん職人の人たちは早くて、きれい ど素人がやっていたのとはまったく訳が違った。
刈った草はきれいに左側にまとまりながら刈っていくので、まとめるのもやりやすかった。草刈り機は基本、右から左に振っていくこともその時知った。
途中から自分も草刈り機を使わせてもらう機会が増えたが、自分が10m行う間に他の職人は、50m位きれいに進んでいた。それくらいの差があったし、早くやろうとするとむらができたり、かりのこしができたりとで中々うまくは行えないでいた。
そんなこわい職人ばかりの中に、一人だけ若い少年が混じっていた。
ちょっと変わった少年だったけど、やっぱりその少年も色々と苦労してきたんだろうなと話をしていて感じた。草刈り機の細かいアドバイスもしてくれたし、他の職人たちはやりかたをきいても反応が薄かったり、怒鳴ったりで
その少年ぐらいが唯一普通の応答をしてくれたなと思う。
造園業もたくさんあるので、他のところがどうなのかはしらないが、
雨が降ろうと、強風であろうと、熱中症アラートであろうと休みとはならなかった。基本的にその日の朝チームメンバーをしり一台のトラックに乗って現場へ行き、という流れだった。
休憩は昼以外に10時と15時の休憩が基本的にはあったが、雨の時には合羽を着ているけど、自身の汗で全身がびしょびしょになりそれが冷えて、本当に生きた心地がしなかった。本当にここは日本なのかと思うほどの拷問を受けているかのような感覚だった。休憩が終わればまた作業→休憩で、最悪だった。
驚いた事があって、これだけの体力仕事だから食事はどれだけ食べるのか見ものだったが、ほとんどの人はそばを食べている人が多かった。
アルミの弁当箱にそばとめんつゆがどーんと入っていて、えっ!と驚くほどシンプルだった。その為おなかが出ている人はいなかったし、自分もめちゃくちゃ食べていたけど、いっこうに体重が増えることはなかった。
それだけ仕事中に消費するカロリーが半端なかったんだと思う。
長くなったので、つづきはまた綴っていこうと思います。
読んでくれてありがとうございました。