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「だれかを生きていく」

わたしの仕事はフリーの役者。地方の舞台にゲスト出演したり、タクシーのなかで流れるCMに出演したりと、地道な活動をしている。夢はもちろん、舞台や映画での主演。ひとのこころを揺り動かす演技ができる大女優。けれども、そこへの道のりは険しく遠く、1Kのちいさな部屋のなか、憧れの作品を毎晩観ながら酒を煽ってばかりいる。

演技に興味をもったのは小学生のとき。学芸会で天使役を演じ、必死でセリフを覚え、物語の中盤に「傷ついた民を癒す歌声」をたったひとり、アカペラで歌うシーンをやりきった。そのときの爽快感と拍手の気持ちよさに魅了されてしまったのだ。

その後も学校で演劇をやる機会があれば積極的に参加したし、演劇のことは大好きだったから、高校は演劇の強豪校を受験した。あたりまえのように演劇部にはいり、これで好きな演劇がたくさんできるのだと熱意と喜びに溢れていた。

しかし、そこにあったのは圧倒的な実力社会・縦社会。これまでやってきたものがすべてぬるま湯のお遊びにしか感じられない世界。わたしの実力は下から数えた方が早く、子役を経験してきた同期とくらべたら未経験とすら言えるほどだった。

1年生は基礎練習の柔軟や発声についていくのすら必死で、演劇に参加できるのは厳しいテストを合格したひとからというルールだった。これまで感覚だけでやってきたから、基礎なんてまったくない。ひとり、またひとりと同期が合格していくなか、先輩から容赦無くNGを叩きつけられる日々だった。

6月にもなると、何人かはその苛烈さに辞めていってしまい、いよいよ基礎でつまづいているのはわたしだけになってしまった。早い子たちはもう、夏の大会の台本読みに入っている段階。置いていかれているという焦燥感でいっぱいになり、寝る時間を削って練習する日々。しかし、焦りはテストのときの心理状況にも大いに影響し、何度も噛んだり失敗したりして、説教をうけ、また基礎を練習することの繰り返し・・・繰り返し・・・

7月に入る直前、ようやくOKがでて練習に参加できるようになったものの、スタートダッシュに大きく出遅れたため、残っていた通行人の役しかもらえず、内心がっかりしていた。それでもまったく出られないよりマシだろうとその場面の練習に参加していると、先輩の辛辣なひとことが飛んできた。

アンタ、なに考えて歩いてるの?

一拍、のちの困惑。
なにを考えていたんだろう?
いや「なにも考えていない

ただ、舞台の上手側から下手側に買い物袋をもって歩いていくだけ。それだけの役。むしろヘタに色をつけて主演たちの動きから集中を逸らせないために、できるだけ存在感を消そうとしていた。雑踏としての演技なら、むしろそれが正解では?

なにも答えられないでいるわたしに向かって先輩は「あなたの演技のせいで、舞台上の景色が歪んでる。そのひとの人生を背負って演じて。ただのエキストラじゃないんだから」と厳しく言い放ち、ぱんぱんと手を打って全体に向けて「はじめから」の合図を送り、特有の気怠さが広がった。

難しいことを要求された。台本のどこにも深掘りされていない「通りすがりの主婦」の人生を背負うなんてどうやって?結局その日はうまくいかず、家でさまざまなドラマや映画を見返した。

そこに映る通行人には通行人以上のなにもないようにみえる。これから起こる事件なんてつゆしらず、平和な顔して歩く家族連れ。なにを話しているかわからないが楽しそうに連れ歩く友達同士。

先輩の言わんとしていることが理解できたのは1週間もたってから。通行人役とエキストラでは背負っている役割が違うこと、物語の場面の統率をとるためのいち役者になるということの大切さ。これは書き表すのは難しい。演劇経験のあるひとにしかわからない感覚かもしれない。

大会の本番にぎりぎり滑り込むようにしてわたしは「通りすがりの主婦」を完成させ、無事に出演を終えた。幕間の挨拶にすら立つことのできない小さな役だった。小学生のころ、ちいさな身体に不釣り合いなほどおおきな舞台で「なにも知らずに」歌をうたったあの頃とはなにもかもがちがう。演劇の世界の一端を知った瞬間だったとおもう。

いっぽう、高校生になってから、ある変化がわたしを苦しめていた。記憶の欠落や不安定さが現れるようになり、一夜漬けしてもコツコツやってもテストに必要な単語がほとんど覚えられず赤点ばかりとるようになってしまっていた。

じぶんの実力に不釣り合いな学校にはいったというわけでもなかったし、中学のころはむしろ常に学年で一桁をとれるほどで、勉強にはそれなりに自信があったのに。いま思えば、あれは鬱の初期症状だったけれど、当時はそんな知識はなにもなく「バカになってしまったんだ」と焦って泣いてばかりいる日々だった。親にも何度も叱られた。

記憶力の弱さは演劇をするにあたって、おおきな壁となる。セリフが覚えられない。失敗が怖くなったことで、これまでなかった「あがり症」も出現しキャストとして舞台にたつのがどんどん怖くなっていった。脳の検査をしても問題はなく(問題があってくれた方がよかったのに)わたしはこの欠陥とともに生きなければならないことに気づいた。

夏大会が終わり、3年生が引退したあとの部活がさらに厳しくなったこともわたしにとって鬱を悪化させた要因だったかもしれない。やればやるほどわたしの不出来が顕になるようで、演劇をしているのがどんどん苦しくなってしまう。同期ばかりではなく後輩にすら置いていかれる。基礎練習の即興芝居すらもまともにできなくなった。

だけど、好きな気持ちはずっとあって、辞めたくなくて、空回りでも努力を続けていた。周りの目を気にしないようにして頑張った結果、わたしは部活内ですっかり浮いた「扱いづらい先輩」になっていた。そんなある日、部員たちによる陰口を聴いてしまい、すっかりこころが折れてしまった。

あのひと、才能ないのにね

3年生の最後の大会で、わたしは舞台監督をやると自発的に申し出た。あの言葉を聴いたうえで、それでもキャストにしがみつく勇気は、もうこの身体のどこにも残っていなかった。

「えっ、先輩、キャストやらないんですか?」

驚く後輩の表情からは「ラッキー」の感情が含まれていることを感じ取ることができたし、実際に練習が始まると、わたしのいない座組は驚くほど円滑に練習が進み、練習の合間にリフレッシュする時間すらできた。わたしがいたときはこんなことは絶対なくて「わたしは邪魔者だったんだ」と思い知った。

高校卒業と同時に演劇からも卒業しようとしたけれど、どうしても諦めることができなかった。本音は、もう一度舞台にたちたい。ほんとうは最後の大会だって役者をやりたかった。これまでたくさんの作品をみて心揺るがされてきた。そんな演技がわたしだってできるようになりたい。

人前ではできなかった演技だけど、ひとりでいると堂々と、自由にすることができた。やっぱりなかなかセリフは覚えられないけれど、それでも台本を片手にどんな人にでもなることができた。ならば朗読もひとつの道だと思い、挑戦したものの、身体を動かすことが制限されると表現が難しくなったため、また舞台演劇に戻ってきた。

大学の演劇サークルや社会人演劇グループにはいるころには、わたしには自然と「役者」という肩書きがつくようになり、ときどき映像研や中小企業からの依頼で映像演技の仕事を受けはじめた。

映像は、一発勝負の舞台よりも緊迫感が少なく、一度に覚えるセリフもすくなくて、わたしの特性にとってはやりやすかった。そのぶん、しっかりと役柄を練り上げてリンクさせていないと、すぐに演技がほつれてしまうのでその繊細さは演じるうえでとても難しかったけれど、演技ができるということが嬉しくてしかたなく、小さな映像作品にでる日々が続いた。楽しかったしやりがいもあった。

わたしの得意な演技は泣いたり悲しんだりする場面。絶望も好き。きっとわたしのなかにその経験がたくさんあるから。だいすきだったものに裏切られた経験や、仲間はずれにされた悲しさや、自分自身への恨みや、世界への恐怖を、たくさんたくさん、この身体に溜めてきたから。

逆に幸せそうなキャラクターを演じるのはとても難しかった。熱い友情もわからないし、胸が躍るような青春も知らないし、誰かのために勇気をだしたこともないし、家族の愛に包まれたことも、恋愛だってまともにしたことがない。けれども役者である以上はそれができなければいけない。

役者をやっていると「どのように役作りを行いましたか」という質問によく遭遇する。当たり障りなく、身の回りで起こったことや、自分自身の経験からとか、いろいろな演技をやっていくなかで会得したものだと答えるようにしているが正確ではない。ほんとうはわたしの中にないものはわからない。

家族関係もよくなかったわたしにとって、幸せとよべたのは無知でいられた幼少期の舞台のことばかりで、それらは高校生のときにしおれてしまった。大学生活も頑張って授業をとりこぼしてばかりで成績が振るわず、誰かとの約束を忘れてしまったり遅刻がひどくなったりして、友人もまともにつくれなかった。眠れぬ夜と薬と涙ばかりが増えていった。

思い返すかぎり陰鬱なものばかりが多いわたしの人生には優しい日々がとても少なくて、そんな役柄を演じるときには、他人の真似事ばっかりだった。情けなかった。生きた経験のないまま、先駆者の練り上げた完成品の上澄みを掠め取っているようで、その卑劣さに我ながら嫌気がさす。

だけど、わたしはこの道以外に生き方をしらない。生活をたてる程度にいろいろなアルバイトをしているけれど、それはお金のためであって人生のためじゃない。時給さえよければこだわりなんてない。だけど演劇はそうじゃない。

役者を辞めることは怖い。どんなに売れなくても、端役でもいいから、だれかを演じ続けたい。それは単に演技が好きだからという理由をとびこえて「じぶん」を生きることが怖いからだとおもう。

わたしはわたしを好きなままでいられなかった。記憶力もよくなくて、大事な場面で顔が真っ赤になってNGをだして、失敗ばかりで、友達もうまくつくれないわたしのことが、わたしは大嫌い。

素顔のままでいたくない。病気に阻まれても、障害に足をひっぱられても、わたしが生きていきたいのは「役者」のわたし。役者でいたい。そうでいたい。誰に認められなくてもそういさせてほしい。そうやって「だれかを演じること」こそがそのままわたしの人生になっていってほしい。

これからもずっと、この傷を内包しながら、じぶんの不出来を呪いながら、だれかの人生を背負って生きていく。この世に存在しない物語を、観衆の目の前に作り出す、唯一無二の「役者」という生き方を、わたしは決して手放したくない。

語り部 花純

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