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月の裏側は不細工説。
「私」という人間は一人しかいないし、身体も一つしかない。
だけど、「私」の見せ方も見え方も関わる人の数だけ存在しているような気がする。
一人の人間だけど、関わる人の数だけ「私」が存在する。
別に嘘をついているわけでもないし、どれも私の一部だけど、
どれが本当の私なのか時々わからなくなる時もある。
でもそれって、自分が関わる全てのモノにも人にも同じことが言えたりする。
「暗闇に光る月」
夜道、暗闇に光る月。
月を見てどのように思うだろうか。
日本では昔から満月を見ると「餅をついているうさぎ」がいるように見える。
月の不思議については2つ。
一つ目は、月の模様がうさぎに見えるのは万国共通ではないということ。
中国とか南ヨーロッパでは「カニ」に見えるらしいし、
アメリカや東ヨーロッパでは、「女性の横顔」に見えるらしい。
他にも、ライオンやロバなんてところも。
どうやら、私たちは同じものを見ているはずなのに、同じようには捉えられていないみたいだ。
二つ目は、月の裏側の姿について。
月は地球に対して常に表側だけを見せているらしい。
(小学校の理科で習った、月は一度公転する間に、正確に一度自転するという原理に基づくお話。)
だから私たちは地球から月の同じ面しか見てないけど、じゃあ月の裏側ってどうなってるのか?
画像検索してみた結果、、、
餅つきするウサギなんか存在しないし、クレーターで穴ぼこだらけ。
きれいな月というよりは、ちょっと不細工。
夜道、あんなゴツゴツしたものが空に浮かんでいたら下を見てとっとと帰ってしまう。
きっと、かつての文豪、夏目漱石も「月が綺麗ですね」なんて言えただろうか(笑
「見えない部分もたくさんあって。」
相手を理解するとはどういう事だろうか。
この世に完璧な事なんてないんだろうし、皆んなそれぞれ良いところも、悪いところもあったりする。
その人のほんの一部分を見て判断する事は愚かな事だとわかっている一方で、簡単にその人のイメージは変わってしまう。
皆んな、社会で生きていく中でその現実を少しずつ学んでいくから、不器用にも相手によって見せ方を少しずつ変えていく。
家族の期待に沿った自分。友達と一緒にいる時の自分。就活の時に会社に合わせてみた自分。
どれも自分だけど、それぞれに見せられない自分もいる。
信頼残高は現金同様、散財するのは一瞬だけど貯蓄には辛抱が必要だ。
一方で、、、、
相手の本質を見抜くなんて難しいし、
私たちはたぶん客観的に相手を捉えることはできず、最初に抱いた印象だったり、思い込み(バイアス)はなかなか切り捨てることはできない。
バイアスが崩れる瞬間は、大抵マイナスな部分が見えた時。
バイアスが良い意味で崩れるのには時間がかかるのに、なぜかマイナスな出来事や印象は一瞬にしてその人のプラスだった部分も含めてマイナスなイメージでと転落してしまう。
「期待と幻想」
私はどこを見て、何を見て判断したのだろうか。
ひょっとしたら、それは勝手に自分が抱いていた期待が生み出した幻想かもしれなくて。
「月は夜空を明るく照らしていてほしい」
「あなたはこういう人だよね」
だから、
「月の裏側の写真を見てしまったら、月って全然綺麗じゃないんだね」
「期待はずれだった」
っていう出来事は、「裏切られた」わけじゃなくて、今まで見えていた部分とはまた違う一部分が見えただけで。それもまたその人の一部分なのだと思う。
それは、見えていなかっただけのパターンかもしれないし、はたまた時の流れのなかで新たに生まれた側面かもしれないし。
「表裏一体」
月の表側が綺麗だけど、月の裏側は表側とは違うように見えるのも、
それぞれ事実かもしれないけど、どちらも合わせて月だ。表裏一体なのだ。
人は幸せを感じていたい。不幸になりたい人なんていないだろう。
だから、幸せのために期待したいし、理想をいだいていたい。
「裏切られた」瞬間に、「それもその人の一部分」だったんだなんて、
簡単に思えるほど人間強くないし、
「辛い」、「苦しい」という感情が心を覆ってしまう。
だけど、裏切りの先に、自分の期待とはちょっとずれてしまった結果のあとに、
「それもまた私が見えていなかった一部分だったんだ」って思えたら、
少し優しくなれるかもしれない。
期待しないという諦めではなく、まるっと受け入れられる心を。