不登校ってなんだろう。親の目線で思う事。~自分の基準で考えてしまう~
「息子の当たり前、私の当たり前」
息子五月雨登校になって6年目。
「当たり前」とか「普通」とかの言葉の使い方が慎重になりました。
息子と話すときには、「大多数の人がするであろうことを仮に「普通」とか「常識」って言うね」と前置きをして話したりする。
息子は、言葉が達者で理屈っぽいタイプ。
ここで、簡単に「普通はそんなことをしない」などと言おうものならここぞとばかり、理論的に攻撃してくる。嬉々として(笑)
そんな息子との会話は、普段、考えもしない事を考えるきっかけになってとても楽しいです。
息子が2年生位の頃、とにかく自分の知っている事をバーっと相手に話し続けるような場面が多くありました。
その他にも、大筋とは関係ないちょっとした間違いを指摘するというのもあり…。本人には悪気はないのですがちょっとヒヤヒヤしたり。
このバーっと話す癖について、ちょっと私がイラっとしたときに勢いで指摘したことがありました。
「普通はね。(怒っているので言ってしまっている)相手が聞いてるかな?分かっているかな?って相手の様子を見ながら言葉を選んだり、言葉を付け足したりして話すんだよ!その話し方だと相手には伝わってないと思うよ!」
と怒りに任せて言った私。
キョトンとした顔の息子。
「え!?みんなそんなこと考えて話してるの?オレは、自分が言いたいことは相手が聞いてなくてもとにかく、全部話したいんだよ!!」
と息子。
今度は、私がキョトンとする番。
「え!? そうなの?聞いてなくてもいいの?」
「うん、むしろ、みんなそんなことを考えていたなんて驚きだよ‥‥‥。」
少し間があって「なんで自分はみんなができる事ができないんだ‥‥」
一気に息子の気持ちが落ちていく。
しまった、と思ったと同時に、でも、傷つく事でも言葉にして伝えないといけないんだ。と一人私は納得しました。
自分の当たり前と息子の当たり前が食い違った。
息子が相手に分かりやすい表現まで考えているとは思わなかったけど、「相手が聞いていようがいまいが関係なく話し続けたい」とは私は夢にも思わなかったのです。
当然、話したのだから聞いていて欲しい、聞いてもらう事で大事にされていると感じるだろう、関心を持たれていると感じるだろうと思っていたのです。
たったこれだけのことですが、私は衝撃を受けました。
とっさに、自分の基準で考えて相手も同じだろうと信じて疑わなかった。
しかも、その上で相手に怒りをぶつけた。
自分の言っている事が正しいと信じ込んで。
「必要なのは」
今回は、息子も自分の思っている事を言葉で説明できた。
だから、私も息子がどうしたいのかが分かった。
だけど、私も息子の言い分に気付かず、良かれと思ってとんちんかんな助言をしてみたり、手助けをしているつもりになっているのだろうと思いました。
きっと、どこまでもどこまでも違う。
それでも、なるべく言葉を尽くして説明し続ける事と聞き続ける事が必要なんだろうと思います。
とても、時間がかかるし消耗するのでいつもは出来なくても。
こんなことも分からないなんて、この人、もう何を言っても無駄だわと思ってしまいそうになるときでも。
なんとかかんとか踏ん張りたいと思いました。
以前、息子は話してました。
「お母さんは、話を聞いてくれるとは思う。」
「でも、お母さんの言う事は、なんに参考にならないし役に立たないよ」
と。
そうか…。全然、参考にならないか…。いやいや、こっちは悩んで考えて対応しているだが…。と思いつつも、なんだか力が抜けて大笑いした覚えがあります。
息子の本音だろうなと。
所詮、私のすることなんて外側からのおせっかい。
それでも、役に立たなくても、ズレてても自分の為に動き回った人がいるという記憶が本人の力になるかもしれないなあと思っているんです。
そんな話を学校の先生にもしたことがありました。
その先生も息子を理解しようとし息子の発言を面白がり、息子の「できた!」を増やす為に動いてくれました。
この先生がしてくれたことは、きっとこの先、息子の心を支えるだろうと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?