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#022_ざざっと成育歴②之八

〔思春期から青年期までの変〕

青々と茂る季節の迷路
そろそろ終盤デス

 さて、そろそろこの章も終盤に近付いてきました。というか、②之八の最後の方に書いていた文章がごっそり抜けいているような気もするので、ここに、綴っておかねば…。
 ②之八の最後の文末あたりに〝自己開示〟についてのことを綴っておりますが、これって、本当に気をつけないと、自分だけじゃなく相手も自身の闇の沼に引きずり込むことになるワケです。で、だからこそ、その道の方たちへ聞いてもらうことが必要だと思うんですね。お金を払ってでも聞いてもらうということは、ある意味、自己投資です。なので、多いに民間でもいいから、カウンセリングを一度うけてみるといいと思われます。がっつりなカウンセリングはちょっと…という場合には、グループディスカッションみたいなカタチで聞いてもらうってのもありかと。
 ただ、カウンセリングなはずなのに、コーチングなタイプの方もいらっしゃるので、守秘義務を徹底されている場所へ無料相談など一度受けたりしてみるのもいいのかも。なんて思いますけれど。
 それと、世間一般では〝トリセツ〟が大切だと思っていらっしゃる方がいっらしゃるかと思われます。どれくらいかという数値は確認しておりませんが、私が知る限りの福祉界隈では〝トリセツ〟がブームなったこともあったくらいですし、実際、自分じゃなく、我が家は息子が重度域の障害児なので、遠い昔、息子の〝トリセツ〟を作ったこともある身ですが、現在は懐疑的に感じている派なので、この後の個人的見解な〝トリセツ〟に纏わる話になりますので、読みたくない方は、飛ばして読んでください。

〝トリセツ〟は〝ナマモノ〟
 はてさて、本章に入る前に〝トリセツ〟話に少々お付き合いください。昔は個別支援計画書なるものは存在はしていませんでしたが、医療・福祉・教育の現場では聞き取り調査のようなこともあるし、現在は、医療・福祉に限らず、教育現場でも個別支援計画書なるものが作成される時代になりました。 ですので、ワザワザ個人レベルで〝トリセツ〟を作成せずとも、それが〝トリセツ〟みたいなものになるわけですね。で、本来〝個人のトリセツ〟は常に更新され続けるはずです。だとするなら、過去データってそんなに必要じゃないんじゃ? と思う方もいらっしゃると思うのですが、私もそう思っていました。
 ただ、アーカイブ的な位置づけで残しておくことは〝重要案件〟ではあると思います。でも、実際、それを現場で活かしきれるのか…というと、無理なんじゃないかと私は思うワケです。ええ。それができたとしても、保護者や当事者のレベル又は神レベルの医療従事者や支援者までじゃないでしょうか?
 いわゆる【支援者<N(担当の利用者)】になるワケです。個人の成育歴に渡る全てを知ることはできても、それを個人レベルで全ての利用者や患者又は生徒の情報を落とし込んでおくことなんて絶対無理に等しいです。っていうか、自分のこと記憶できてますか? そこの保護者&当事者の皆様、並びに、一部の支援者の皆々皆様…。
 ましてや、ある程度大人になった個体でも成長はするのです。医療と同じで個体も日進月歩だと思うとです。それこそ個人情報が絡んできます。個人情報の取扱いについては、医療や福祉の現場の方たちの場合には、勉強会などもあるかと思いますが、一番知らないのは、実は当事者や保護者なんですね。その件でもめてしまうことも無きにしも非ずなワケで…。
 とどのつまり〝トリセツ〟は大切だとは思います。ただ、個体だからこそ、個体の情報は〝生モノ〟なわけです。器械と違うのです。っていうか器械だから〝トリセツ〟は有効利用できるだけで、その機器が無くなったり、機器がバージョンアップするタイプの場合には〝トリセツ〟も変わるワケです。ということは、人間だからこそ〝トリセツ〟は〝あって〟も〝ない〟ようなものだと思い、お守り替わり程度に考えておいたほうが良いんじゃない?と思うワケです。超絶個人的見解で申し訳ないのですが…。
 いわゆる〝トリセツ〟でもあり〝お守り〟でもあるけど、活かされないことの方が多いっていうことは前提で、制作したほうが良いと思われます。
それと、一番、安心・安全なのは、支援機関を利用したり病院受診をすることで必然的にカルテに記録されます。福祉サービスの場合には、成育歴というカタチで残すこともありますし…。
 もし、現在グレーゾーンタイプの方で、病院受診や福祉サービスの利用をしていない場合には、個人レベルで細かいところまで日記などに残しておけば、精神科受診や福祉サービスを受けることになった時に、それらが活かされることもありますので、書き留めておかれることをおススメしておきます。
 そして、一番大事なことになりますが〝トリセツ〟に限らず、病院受診などで、保護者や当事者の〝都合のよい情報だけ〟を残さないことです。都合の悪い情報のほうが、実は本人にとって〝重要案件〟な場合もあるからです。で、当事者の場合には、他者も自分と同じように考えているに違いないと思っているタイプの場合には、本来伝えたほうが良い情報を主治医やカウンセラーの方へ話せていない場合もあると思うので、一応、自分では、わかっていることでも主治医が知らないだろう情報は伝えておいたほうが良いと思います。もし、当事者の方で、前述のようなことが思い当たる方は、できるだけ、話せることは話してみてください。そしたら、お薬の量が変わったり種類が変わることもあるかと思いますので。後、この件に関しましては、あくまで個人的見解ですので、あしからず…。ということで、②之八の話へ行ってみよー!


思春期における〝自己開示
の失敗体験 
 思春期時代に〝自己開示〟をしたことで、苦い思い出となってしまった話を少しだけ綴っておこうと思う。
 先ずは中学時代。一応私も、初恋っていう経験はある。ただ、今思うと果たしてアレは〝初恋〟と言えるのだろうか…。まぁいいや。
 思春期になると、クラスの〝誰〟が〝誰〟を好きなのか…ということが繰り広げられるようになる。あの現象は、思春期だけかと思っていたら案外そうでもないのだなぁということを大人になっても痛感しているが、自分の場合には、自分の気になる人が誰を好きなのかは気になっても、他の人が誰を好きなのかは全く気にならない。興味関心がない人のことなんて、全く気にならない。が、当時は皆に流されて、自分も好きな人を女子だけの中で公言していたのだが、中学なってからは、同級生や先輩などに〝好きな人〟はいないと公言していた時期があったと思われる。
 当時は小さな田舎町だったが、小学校と中学校はがあり校舎は離れていても、実質通学する同級生は保育園から同じ顔触れになるので、小中一貫校のようなものだった。そういったこともあり、小学生の頃まではバカ正直に〝〇〇くんが好き〟といった公言をしていたのだが、鈍感な私でも、一応少女漫画を読み、好きな人がいても、胸の内に秘めていても良いことを学んだことから、中学になり同級生の女子に聞かれても〝今、好きな人はいません〟といっていた。しかも、時代は80年代後半。
 アイドルブームが巻き起こっていた。私は、当時チェッカーズのフミヤ氏ファンだったのだが、同級生の光GENJIファンの子に感化され、光GENJIから男闘呼組のファンになり、三年程はジャニオタだった。
(オタといえるほど好きだったかは謎。あっでも、フミヤ氏と高橋和也氏のお嫁さんになりたいと思ってた時期はある(恥))
 好きなアイドルができたことから〝今好きな人はいない〟ということで、初めは逃げきれていたように思ったのだが、バカ正直者だったことから相手の戦略にまんまとハマり、墓穴を掘ってしまうことになった。
 〝ざざっと成育歴②之六〟の中で、私のことをやたらとライバル視だか敵視していた存在の〝Kちゃん〟に直接聞かれたことがあったのだが、数回はかわせていたのだ。ただ、その後、自宅の近所に住んでいた同級生のH(男子)に、休み時間に呼び出され、現在好きな人がいるのか問いただされ、どういった質問をされたのか忘れてしまったが、最終的に言葉につまり、誤魔化すことができず、その時〝好きな人の名前〟を答えてしまうことになった。
 何故なら、誰にも言わないということを条件だったのに対し、Hは、頷いたので、バカ正直に答えたのだと思うが、それは、奴らの作戦だったのだろうと思う。私の特性がわかっていたからこその策略だったのだろうと思う。 そして、私の好きな人しったHは、次の授業が理科だったことから、理科室で大きな声でクラス全員にバラしてしまったのだ。
 ただ、後にわかったのが、実は、Hを使徒にした首謀者はKちゃんだったらしいことが判明し、なんで、そんなことまでされて、私の好きな人を知りたがったのか全くわからなかったし、Kちゃんにとって私の好きな人を知ることが何故気になるのかは全く理解できなかった。
 もしかしたら、Kちゃんが好きな子とかぶっているんじゃないかという不安がそうさせたんだろうか? それとも、もしかしたら、Kちゃんの好きだった人と私が仲良しだったからだろうか? あっ…それか、もしかして、中学になる前に、保育園の壁にチョークだか炭で相合傘を書いたのがワタシだとバレてて、それに対する倍返しってやつだったのかな??? 私も私だけれど、私のしたことに対して〝Kちゃん〟がワタシを戒めるために、私刑なことをしたとするならば、1対1で勝負すればよかっただけなのに、何故、人を使って成敗したんだろう。鬼殺隊というよりも〝鬼舞辻無惨と愉快な仲間たち〟からの攻撃くらいのダメージを受けたようなものなのだが…。
 私が馬鹿正直なことを利用して攻撃するくらいならば、自分が嫌だったことや周りの子が嫌な気持ちになったことを、自分がリーダーとなり私刑というカタチで成敗するのではなく、私に対して何がダメだったのか、教えてくれたらよかったのに…。そのお陰で、私の考えていたちょっと切ないけれど淡くて甘い中学生活はぶち壊されてしまったのだ。

 私の育った環境は、小さな田舎町なこともあり、保育園時代から小学校そして中学生、又はクラスは違っても高校までずっと同じだった人たちが半数いる。そんな状況だからこそ異性だからといって、意識して話せないということにならない性格な私が、思春期に入り、中学になった途端、クラスの皆が同級生の子を異性としてみはじめたとしても、私にはすぐに切り替えられなかった。というか、ワザワザ切り替える必要があったのだろうか? 全く意味がわからなかった。それが、社会性の問題と言われることになるのだろうか? 異性同性関係なく、居心地がいい相手や話しやすい相手なら、それが〝特別な気持ち〟なのかどうかなんて関係があるのだろうか? 全く意味がわからなかった。
 おそらくその当時の私は、同級生の子たちとは違い、第2次成長期における、異性との関係性のことをまだよく理解できていなかったと思う。というか、我が家は姉弟だったからこそ、異性だろうと話すことに抵抗はなかった。抵抗があった場合は、大分年上のお兄さんたちに対しては恥ずかしいという気持ちは感じていたが、話せないことはなかった。
 幼少期から男女問わず普通におしゃべりしていたのに、なぜ、中学になったからって、仲良くしたり、異性とおしゃべりするだけで〝好きだ〟と思われてしまうのか、私には全く理解できないことだった。
 中学になり、自分の本当のタイプの人に気がついたことがあったけれど、全く自分に自信がなかったことだけでなく〝もしかしたら好きかもしれない…〟という気持ちを相手に知られることで、おしゃべりできなくなってしまうことになるんじゃなかろうか…というのを薄々感じていたので、友だちのままでいたほうが気兼ねなく話せると思っていたことから〝好きな人はいない〟ことにしていたのだが、そんな私の小さな計画は〝Kちゃん〟とテサキになったHのせいで、脆く儚く崩されてしまうことになった。
 その日まで、普通に気兼ねなくしゃべることができていたK君と、それ以来普通に会話することができなくなってしまった。それが一番ショックだった。何故なら、自分の気持ちを知られることがなければ、おそらくずっと仲良い友だちのままでいられたように思ったからだ。
 自分の気持ちが叶うことはなくても、普通におしゃべりできるだけで十分だと思っていたからだ。それくらい、自分に自信がなかった。そして、K君が好きな人は私ではない人だったことはわかっていたし、その相手がかわい子ちゃんだったからこそでもあったのだけれど…。
 後は、高校時代にも、恋愛に纏わることで失敗したことがあるが、それは、人生初の〝モテキ〟が来たことを、当時数名で行っていた交換日記内に、書いてしまったことで、その時仲良くしていたグループの子たちから、自慢してるということになり、不仲になった。その仲良くしていたグループの子以外にも仲良くしていたMちゃんに相談してみたら、

「バカ正直に書くあんたが悪い。そういうことだからこそ、交換日記とかに書いたらダメだったんだよ」

と教えてくれたのだが、日記を書く時の条件の中に〝秘密はタブー〟な文言があったから、私は正直に書いたまでなんだと伝えたら、それでも、内緒にするべきだったことだし、書かなくてよかったことだよ。と教えてくれ、私は、その後そのグループから縁遠くなっていき、その後はMちゃんと一緒に過ごすことが多くなった。
 このMちゃんのお陰で、嫌でたまらなかった、小学校高学年から中学3年間までの暗闇期が少し軽くなった。そして、仲良くなったことで、私の独占欲は強くなり、Mちゃんとの関係性も一時的に悪くなってしまったこともある。それでも、Mちゃんとの高校生活は私にとって凝り固まっていた価値観が少しずつ変わるきっかけにもなったし、自身が感じていた息苦しさを開放させてくれる唯一の存在でもあったし、楽しい思い出がいっぱいある。それなのに、結局大人になり、自身の至らなさもあり不仲になり縁がきれた。
※『独占欲』についての話は、養生編の中で詳細を綴りたいと思う

 さて、思春期時代の〝自己開示〟の方法としては、個人の日記や友だちとの交換日記、後は、親戚の姉や当時仲のよかった友だちとの雑談になっていくが、私の場合、脳内で感情の箱をわけるようになった時から、個人の日記に、当時の友だちにもいえないブラックな気持ちを綴っていた。
 個人の日記が数冊あったのだが、中学を卒業し高校へ行く前に中学時代のブラックな自分の3年間をなかったことにしたくて、自宅の庭で全部焼いてしまったので現在は手元にない。その時は、書き綴っていたことを燃やしてしまうことで、当時に味わっていたブラックな気持ちも消えてしまうんじゃないかという思いで焼いた。が、そんなことはなく、書き綴っていた内容は覚えていないが、ブラックな気持ちの記憶はしっかり覚えていたし握りしめたままだった。
 メンタルが強化されはじめる頃になり、その当時のブラックな自分や気持ちを時々取り出して眺め、頭の片隅に住んでいる小さな自分をヨシヨシと心で抱きしめてあげたりもする。そういった自分になれるとは思っていなかったので、衝動的に日記を全部燃やしてしまったことを悔やんでいる。何故なら、もしかしたら、ただの私のカン違いや思い込みや誤解やすれ違いでネガティブな物事として処理していたかもしれないからだ。だからこそ、その当時の日記を燃やさずにとっておけばよかったと思い後悔している。
 過去に戻れるなら、その日記だけを過去の私にみつからないようにどこかに隠しておくか

「燃やしたくなるけれど、絶対燃やさないほうがいいよ」

と夢枕にたつのに…なんてことも思うが、そんなことが出来たとして、あの当時の私が言うこと聞いてたかといったら、無理だったかもなぁなんて思う。まぁ、とりあえず、どんなことで悩み、どんな言葉でどんなことを吐き出していたのか…が気になるところだが、当時、保留事項にしていたことは、ここ数年で全部片付いてようなものなので『まぁーいっかー』というくらいな気持ちにはなれてるので結果オーライではある。
 過去ブログを検索してみたら、2年前に『燃やさなければよかった』と後悔しているブログをみつけたので転載しておく。
※転載するにあたり、多少の修正を加えております。ご了承ください。

過去ブログ:ワタシの暮らしの忘備録より
2018-01-24

「今日の空」

 中学の頃日記を書いてました。自分のネガティブな思いやお花畑なラブレターを書きなぐっていました。詩や短歌なども書いてたと思いますが、その当時の自分がカッコ悪いと思ったし、好きではなかったのもあり、読み返す度に嫌な気持ちになっていたのでその当時の3年分の日記を全部庭で燃してしまいました(苦笑)
 その頃は過去をうけいれられなかったけど、今の私なら面白がって読めるようになったのであーーーー燃さなきゃよかったーとちょっと後悔しています。

 10年前に入院していた時2ヶ月だけでしたが日記をつけていました。時々読みなおしていましたが読みなおすこともできないくらいその当時の自分を受け入れらず、そのノートを一度は捨てようかと思ったこともありました。ただ、捨てようと思ったけれどいつの日か過去を振り返った時に自分をみつめなおせる、何かきっかけになるかもしれないと思い捨てずにとっておきました。数年前に読んだ時は、もう、恥ずかしいやらなんやらで
「あ―――病んでたなー(棒)」
としか思いませんでしたが、最近になって読みなおしてみると少しは胸がチクッとしますが、一生懸命に自分を取り戻そうとしていたんだなーと思って、自己肯定ができるようになっていて不思議な感覚です。

 その日記の中にいくつか詩を書いていました。日記の内容はさすがに個人情報濃すぎてブログにはできないので詩だけでもアップしていこうと思います。今よりもお花畑な脳みそ時代なので今読むとこっぱずかしいですが…。何か伝わるものがあるといいなーと思います。

 2年前も現在と同じように『燃やさなきゃよかったー』と後悔しているのがわかってもらえると思う。そういった経験もあったからか、閉鎖病棟へ入院していた時の日記は捨てることも燃やすこともなく、大事にしまっておいた。
 これ以後も、何度か入院時の日記を読み返してみたが、読み返すたびに様々なことに気づかされる。たった2カ月の間、毎日記録していたのだが、自身の心と体の状態が少しずつ変わっていくのが目に見えるカタチで解るのが、私にはよかったみたいだった。そして、正直に自身の気持ちを綴っていたのもよかったと思う。
 あっ。そして、今気がついた。当時の病院内で起きた出来事が思春期時代に味わったことのある、人狼ゲームの確認作業が展開されてたんだ!と思うと、なんか〝プンスカ〟な気持ちになっているが、その人狼ゲームのお陰で入院してるのに、どんどん痩せていく…事態にみまわれたんだぞ! といった文句をここに吐き出しておこうと思う。とりあえず、当時、原因になった相手には直接文句をいったことがあるので、その当時のことを思い出しても〝プンスカ〟程度で終わらせられるしそれ以上の怒りに発展しない。
 こういったことから、その時感じたことを、その場その場でなんらかのカタチで解消させられてるかどうかは、結構なポイントな気がする。お店のポイントが溜まるのは嬉しいが、ネガティブなメンタルのポイントが溜まっていくのは、なるだけ時間が経たないうちに解消させていたことで、他者に対する〝怒り〟に発展しないのだろうと思う。
 それを強く思うのは、別れた元パートナーに対しての〝怒り〟は、出会った頃のようなポジティブな想いを打ち消すくらいの、彼の裏切り行為をずっと私だけのせいにされ、すり替えられていたことに腹がたっていたのだと気がついたからだ。
 似たような状況になる度に大喧嘩になりすったもんだしていたのは、結果的に一度目に裏切られたことに対して、元パートーなー自身の悪行を誤魔化されたからだ。
たった一言「別に好きな人ができたから別れてほしい」といってもらえればよかったものの、次の人に乗り換える時、すでにもう次の場所(パートナー)が存在していて乗り換える恋愛スタイル(※とある、作家さんだかが『のりしろ』といってらっしゃってたスタイルのこと)が、私の執着を共依存の域まで突き落としたようなものになったと思う。そして、こういった場合に自分の非を認めないだけでなく、もうすでに好きな人はいるのに自分から別れを告げることなく、終わらせるような終わり方をされたことが、私の中に〝しこり〟となり、潜んでいたのだろうと思う。だからこそ、似たような状況になるたびに喧嘩になり、過去のことを引っ張り出すことになってしまっていた。
 いろんなことを乗り越えた現在の私なら、多少メソメソはしながらも
「そござんすか。はい。さよなら、お元気でお幸せに!」
なんてくらいのことを言えるくらいになっているし、むしろそういう人には引っかからないと思う。例え、ひっかかっても途中で気がつき、自分から離れられるようになっている。
 なぜかというと、ゲーム体質の人たちとの人間関係が一番厄介だからだ。そういう人たちは、自らの非を認めないだけじゃなく、自分から縁を切らない。なぜかというと、再度縁をつなぐのも〝相手次第〟になるだけじゃなく、嫌なくせに、必ず受け入れる。そして、またトラブルとなってしまう。そういう体質になっており、そういった自分に気がついてない場合は、認証沙汰になりやすいし、ストーカー行為をされても当然だと思う。
 私はそういった関係性が嫌だったことや、自身の執着というか依存体質だけの問題じゃなかったことに、この数年で嫌な程気づかされたからだ。
 特に、私のことを〝メンドクサイ〟といっていた人たちは、実は、自分たちのほうがメンドクサイ関係性でしか、人付き合いができていないってことに気がついていない。そういうことに気がつくだけで、人生は一変することもあるのだが、気がつかないというよりも、認められないといった言葉のほうがあっているのかもしれない。
 基本的に人は障害の有無に関係なく、大きな変化に弱い生き物なので、自身の器質に気がつかないまま、時代にあわせた生き方にシフトするためにそれなりに準備できてない人たちは、ゲーム感覚な人間関係を止めることはおそらく無理だと思う。だから、本人が、ゲーム感覚な人間関係はお腹いっぱいですっ乙杯。くらいな状況になるまで〝繰り返す〟ほかないと思われる。(ジェットコースターなラブもすぎれば、立派な人災です。ご用心。)
 ということで、今後、私のことを巻き込む場合には、鬼殺隊の柱バリに仕留められるくらいな気持ちでいてもらいたい(棒)それくらい、自分や息子を守るために必死で生きていた数年だったからだ。容赦しないので、覚えておくように。(はっ! 何言ってるのよ。私…。これは、脅迫罪にあたるのでしょうか…神様…。)

 ということで、恋愛における『のりしろ』について、少しだけ言語化しているブログをみつけたので、一部転載しておく。

はてなブログ:ワタシの暮らしの忘備録 2017-11-03
『飾りじゃないのよ技術は』より一部抜粋  

 リアルな友だちもネット内にも友だちがいない今日この頃なので、SNSやテレビ、ブログなどを読み参考にさせていただいていますが、最近しびれた言葉がいくつかありました。
 例えば、元彼と今彼の間がかぶっている場合にそれらを『のりしろ』ってつぶやかれていたのは作家さんだったと思います。イヤー語彙力というか、その4文字に全てが集約されている感が否めず、それを理解できる私も私ですが、経験したことがあるので、至極腑に落ちました。

 ということで、元カレと今彼のかぶっている間のことを『のりしろ』、私の中では『のりしろ期』という言葉に変換し造語として使っているのだが、これは、自身も身におぼえがあることだからこそ、反省の意味も込めて綴っている。それでも、そういう時期を経て人は大人になっていくというのもわかっている。ただ、今現在、恋愛における『空白期』そろそろ3年目に突入する現在だからこそ、『のりしろ期』はなくても大丈夫だったことを痛感することになったのはいうまでもない。ボッチな時期…

♪ 真実を知るためには1人にならなきゃいけない時がある  by KING GNU

という歌がすべてを物語ってくれているような気がする、今日この頃だ。

〝自己開示は〝ポルノ
 ②之八の最後の文末あたりで〝自己開示〟についてのことを綴っているが、私はいい大人になるまで〝自己開示〟はことごとく失敗してきたほうだ。だからこそ、心身のケアのために民間のカラーセラピーの講座を受講し、民間にはなるが最終的には資格をとった。
 カラーセラピーの資格をとるにあたり講座を受講したことで〝自己開示〟の方向性を変えることができたように思う。それまでは〝クレクレ星人〟だったんですね私。
 〝クレクレ〟という公式は『〇〇してくれナイ』になるわけですが、私の場合には、『俺の俺の俺の話を聞け―♪』位なジャイアンリサイタルばりの〝自己開示〟だったワケです。ええ。
 【時・場所・人】をわきまえていない、一方的に〝自己開示〟を行っていたことになるので〝傾聴〟どころか、相手によっては聞く耳を持とうとしても、聞いてられないくらいひかれていた内容だったなら、ひかれても当然だったし、自慢だと思われ〝妬みや僻み〟に発展していたなら、それはしょうがなかったよなぁと思う。だから、嫌われていたのかもしれないし、関わりたくないと思われても当然だったよな。と思うと、ああ、もう本当にごめんなさい。スミマセンでした(土下座)という気持ちでいっぱいになる。
 ただ、自分がこうした開けっ広げた性格で、人に開示しすぎることが、おそらく世間一般の人がひいてしまうような他者の経験を聞き、胸が痛くなることはあっても、ひくようなことにはならず、受け止められてきたんだろうとも思う。お陰で、知らなくてもいいような話も結構聞いてきた。そういったことでも、自身の被害妄想の磨きがかかってしまったのだろうとも思う。
 私はいつの頃からかヘンテコな〝自己開示〟だったのが、ここ数年で大分マシになってきたのだが、私の場合には、過去の出来事を振り返ってみても、自身なりには向き合っていると思ってたけれども、ズレた方向性で向き合っていなかったことが多く、失敗体験とそれから得たサバイバルスキルだけが増え、結果的に何事かで崖に落ちてしまうことになってきた。それでも、死ぬくらいの苦しみは味わうことにはなったが、なんとかこうして生きのびている。 
 人生3度目のメルトダウンが起きたことで、最終的に〝生活保護〟や〝債務整理〟を行うこととなったのだが、それに伴い、個人情報をだだっぴらきにしなければならず、まるで、心を丸裸にされるようなことを必然的に何度もやることになった。
 必然的に心を丸裸にされたことで、〝感動ポルノ〟も必然的に産み出されてしまうことにもなった。が、それらを経験したことで、ある意味、調整の聞きずらかった〝自己開示〟が普通に近いカタチで処理できるようになってきていると思われるので、ある意味活かされたことにはなる。
 ただ、個人情報の開示は、思っているよりも心理的負担が大きいことをわかっていない人が多い。だからこそ〝生活保護受給や債務整理〟までせず、悪いことをしてまでも、自分の力でなんとかしたいと思ってしまう人たちも中には存在するだろうと思う。
 そりゃそうだ。路上で下着もつけず丸裸になるのと同じようなことを見知らぬ人に〝自己開示〟しなければならないからだ。しかも、思い出したくない〝負の情報〟まで開示しなければならない。それに、忘れがちなのが〝生活保護〟も〝債務整理〟も規則や法が絡んでいるので『嘘』や『ごまかし』は許されない。
 その『嘘』や『ごまかし』をし、誰かを庇った場合には、それは後々、自身の首を絞めることだけではなく、巻き込み事故の状況となってしまうことに気がつくことになった。だからこそ、自分の場合には、バカ正直に事実を伝え続けてきたことは〝間違い〟ではなかったなぁと思うにいたっている。
 こうした経験から、私の『自己開示力』(なんでも〝力〟をつければいいってものではないが…)がパワー全開になっただけではなく、語彙も増やしてくれたように思う。
 所謂、誤魔化しの言葉や嘘をつかないために、どういった語彙で答えれば、自分や他者どちらにも、腑に落ちる言葉で表現すればいいのかということが、自身の現在にも活かされているように思う。
 それと〝生活保護〟や〝債務整理〟をすることにあたり、個人情報を路上で真裸になったつもりで開示したことで、それに付随したプライスレスなことが起き、精神科での診察時にものすごく活かされている。精神科で自身の身に起きていることや自身が考えていることも全て丸裸にしたお陰で、澱になりがちな私のメンタルがかなり軽くなっている。
 ただ、おそらく、私の話を聞いてきた、ここ数年の主治医だった先生を含む支援者の方たちは、無意識下でボディーブローをくらっていると思われる。(ホントスミマセン×∞)
 ということで、あと数年でアラフィフを迎える前に、なんとか人並み?な開き方ができるようにはなっているが、如何せん、思春期時代における〝自己開示の失敗体験〟は、今思えばまだ可愛いものだったことを痛感しているが、それらのせいで、他者に嫌われてしまうことを恐れるようになってしまうという負の循環が、私の未来を大きく左右したこととなったのは言うまでもない。


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