祈りと願いと無量大数と②
わからなくても応える
知的障害を伴う自閉症の息子は、Ipadで自分なりにネットで検索をしたり、Googleアースでお散歩したり、YouTubeで好きな動画をみたり…とネット生活を楽しんでいる。
ネットを使って検索をできるようになったのも、幼い頃からやっていた積み重ねで彼の内省言語は育まれることになった。それは、国の制度や自治体の恩恵を受け、それらに応じて各機関が取り組んでくださったからだ。我が家は支援者に決して恵まれてきたわけではないが、それでも、その時々で担当してくださった先生又は支援者の方たちなりに、彼が幼少期に受けていた支援を続けてくださったことはとても感謝している。
知的障害が重度域であっても50音を獲得できたこと、現代だからこその技術があることで、PCやタブレットがあれば、自分で筆記せずとも文字を綴れるようになったことが、息子の中にある様々な気持ちやその時々に応じた単語を引き出してくれる魔法の宝箱となった。本当にありがたい。もし、これがひと昔前…私が生まれた50年前だったとしても、Ipadもネットもなかったのだ。それを考えただけで毎回ぞっとする。
ただ、この恩恵は全てが良いことだけではなく、デメリットもある。そのデメリットに触れてしまうと今回の記事が膨大になってしまうので、今回は控えたいと思う。ただ、何事にも言えることだがこの世の大抵のことがメリット・デメリットはあると思とっているので、この記事を読んで不思議に思う人はどんなことがデメリットになるのか考えていただくことで、障害福祉に関することが少しは身近に感じていただけるような気もする。
さて、お得意のなんだか話がズレていくことになっているので、話を戻そうと思う。
福岡へ引越しをしたことから、大きく生活環境などが変わったことなども重なり、普段飲んでいる薬が変更になったり増えたりした。不穏な状況を抑えるために必要最低限の投薬をしてきたが、身体も大きくなったこともあり増やしてみることにしたら、今度は朝が起きれなくなってしまった。寝起きは悪くはないが、血中濃度の関係なのか夕方になると不安定になってしまう日が増え始めた。と、同時に謎な言葉や質問を連呼するようになった。
息子は割と記憶力が良いほうで、昔の記憶をフィードバックし以前行ったことのある場所へもう一度行ってみて確かめてみたいといったことを折に触れてやりたがる。
おそらく、それは〝追体験〟というやつになると思うのだが、そうなると、毎日不安を打ち消すために質問責めになる。その度に、息子にわかりやすい言葉を使い、カレンダーなどを用いて説明する必要がある。しかも、その質問を私だけではなく、様々な人に質問するから更に厄介なことになってしまったこともあった。ただ、本人が納得しさえすれば、そのうち聞いてこなくなるので、とにかく忍耐力と言語体力が必要だ。ただ、これをやれるのは息子の特性を知りつつ自分自身の〝死生観〟が完結している必要があった。
それでも、私は修行僧でもないし、まだ半世紀ほどしか生きていない、ただの一般ぴーぽー。危うく死にかけるようなことはあったが、余命宣告をされるような病気に罹患したわけでもない。
あっただ、鬱を含む精神疾患は余命が本人次第になるケースになりうる疾患ではあるのだけれど…。とりあえず、私なりの死生観に辿り着いてはいたものの、その死生観をベースに一般的な知識と照らし合わせながら、少しずつ、彼が理解してそうな言葉とアニメなどのワンシーンをヒントに説明しつづけた。
彼にわかりやすいように説明する度に、私自身が頭では知識として腑におちていたことでも、説明している間に不思議と涙が滾々と溢れてきて泣きながら説明したこともあった。
息子にきちんと伝わっているかどうか確かめる術もないし、傍から見れば無駄な作業のようにみえても、わかっているとかどうかよりも応える必要があると思うからやり続ける他なかった。それに、私だって幼い頃や思春期頃は今とは違った〝死〟に対する恐怖心がなかったわけではないからだ。
自分という存在がこの世からいなくなるということが一体どういうことなのか…なんて本当のことは誰もわからないことだとも思うし、私自身の中で渦巻いていた死に対する恐怖感を払拭するために漠然とどこからか浮いてくる不思議に思う物事を素直に周囲の人に質問することもできないくらい怖かったからだ。そして、そうしたことが私の場合には不全感の種として蒔かれ、何かがトリガーとなって精神を患ってしまい、大人になるまで気がつくことなく強制終了が起きてしまっただろうと思うからだ。
だからこそ、本人の裡から湧き出てくる思いを誤魔化し相殺したりせず、応える必要があると思うにいたり息子のニーズに応えているというワケだ。
ただ、実際、臨死体験をした人の話題はあっても、そうした情報は本人が体験したことで得たその人だけの確かな情報であり、他者にとっては不確かな情報だからこそ、体験した人の脳がこれまでに得た情報を含めて視せた不確かな景色になることだからこそ、そういった情報の扱い方に気をつけながら、伝えることを心がけている。
これまでにも随分言語体力は鍛えられてはいたが、まだ序の口だった。福岡移住後の2年あまりの質問の内容が、健常域の人たちでもなかなか向き合えていない壮大な課題だからこそ、断定したお話として盛ってはいけないと思い、今現在までに、彼から表出している〝天国と天使が迎えにくる〟〝空の世界〟〝パトラッシュ〟中途半この3つのセンテンスを用いて説明をして現在はなんとか質問されることがかなり減ってきてはいる。
③へ続く
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