確かめたいから

自分を愛しても
結局感覚的には
愛されているという感覚を
感じられなくて寂しいから

誰かや何かで
相対化されることでしか
私という輪郭は
浮かび上がらない

何故なら
私には私がみえないから
誰かや何かに投影されたり
映し出されて
初めて〝私〟を認識できる

〝差し出して〟
〝受け取る〟

そのヤリトリが
私や誰かとの間で
化学反応を起こし
互いの新たな一面を見い出す

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