#020_ざざっと成育歴②之六
〔思春期から青年期までの変〕
青々と茂る季節の迷路
ごめん、まだ続いてる…
自身のカン違いや思い込みから巻き起こった物事が積み重なっただけでなく、他者の意図が複雑に絡み合いながら、自身の人生を狂わせてしまう迷路に迷い込むことになってしまった思春期時代。
この時代に受けた同級生からの意地悪で、嫌な思いをしてはいたがこの当時の私は、まだまだ純粋だったこともあり、裏切られたり意地悪をされてもそれでもまだ〝人〟を信じていた。
はじめてのサイコパスっぽい人
特に私のことを目の敵のようにライバル視していた、ボス的な存在のKちゃんとの関係性は、私にとってトラウマになってしまった。ただ、Kちゃんは、私だけを敵視したワケではないと思ってはいるが、当時、なぜ、私や他の人たちに対して、Kちゃん自身の価値観の枠に納め、人をコントロールするような態度をとっていたのだろうか…?といったことは大人になった今だからこそ、やっと理解できたように思う。
( ただ、それでも、こうして公開処刑のようなことをやっている私も同罪みたいなものになるワケだが…(苦笑))
Kちゃん自身に直接聞いてみたことがないので正直わからないが、これまでにも何度か、当時を振り返ってみたことはあり、その当時、Kちゃんに直接言われたことをその度に思い出しては、消化不良のような状況に陥っていたのだが、現在はいろんな意味で不憫に思うようになった。
私は彼女のお母さんに〝素直で良い子〟だと、直接褒めてもらったこともあったし、我が母の教育方針がKちゃんの母親にも影響していたらしかった。我が母は〝ファミコン等のゲーム機器は絶対買わない主義〟だったこともあり、我が母の方針が彼女の母にも影響して、彼女は〝ファミコン〟を買ってもらえなかったようだ。ということから
「千晴ちゃん家もファミコンを買ってくれればいいんだけど…」
的なことを言われたことがあった。 ただ、私にそんなことを言われたところで、実際どうすることもできなかった。私だって、みんなと同じように興味があるし、欲しくても〝我が家の家訓〟だし、母に我儘をいってみたところで買ってもらえるはずもないワケで…。
〝他所は他所。うちはうち〟案件を、私の中で消化するほかない、板挟み状態に見舞われていたことが〝トラウマ〟にもなってしまった。当時の折衷案としては、自分が受け止めて〝我慢〟するほかなかったのだが、その当時の私は、クラスみんなと仲良くするためには〝みんなと同じことを好んだほうが良い〟と思っていたことが仇になってしまう。
今現在の私なら、母親にダメ出しされようが自信の気持ちを貫くだろうし、ゲーム機器が欲しければお金を貯めてでも買うだろうし、むしろ、自分はゲームに関してセンスもないし、そんなに〝興味・関心〟が高いわけでもないので〝スルー〟できる。
2020年の我が家には、PSやDSもなければ、任天堂スイッチすらない。ゲームは課金せずフリーソフトのネットゲームを嗜むくらいだ。息子から欲しいと言われたら購入しようとは思ってはいるが、まだ何もいってこないので買い与えてないだけだ。ただ、Ipadだけは、いろんな意味で我が子にとって必要な機器だと思うので、購入し使用させている程度。世の中で流行っている〝あつもり〟さえしていない。というより興味がない。それは、私がバーチャルの世界での〝出会い〟や〝交流〟より、リアルな世界での〝出会い〟や〝交流〟をより好んでいるからなのかもしれない。
今、当時を振り返って思うのは、Kちゃん自身が求めていたことを彼女のお母さんは受け止め切れていなかっただけで、我が母の言うことに従える私のことを〝偉い子〟だと勘違いしていた、彼女の母親が結果的には〝諸悪の根源〟であって、ただ〝母親に対し従順な子どもなだけの私〟と〝従順になれないKちゃん〟とを比較してただけなんだろうと思う。というか、思春期に親に反抗することは当たり前のことで、むしろ、従順だった私のほうが、オカシイ状況でもあったワケで…。だから、どっちの家庭の教育方針が〝良い〟とか〝悪い〟とかでもなかったし、私や彼女どっちが〝良い子〟で〝悪い子〟なんていうのは表出している状況からすれば、私の方が〝善〟にみえるが、両者の背景を知れば、私やKちゃん自身の問題というよりも、その背景にある問題がペルソナ化していただけなんだなぁと思うと合点がいくようにも思ったりする。そして、そもそも個体差のある人類を型ハメのような子育て論で片付けようとしていた世界観になっていたことが不具合を招くことにもなっていたように思う。そんなことを思うと、彼女にとって、私のことが〝勘〟に障ってしまうのは〝仕方がないこと〟だったよなと、今の私ならそう思えるようになった。
要するに、Kちゃんのお母さんも私の母も、環境や子どものタイプが全く違うのに、大人の勝手な指標の中に当てはめた子育てで、同じように個体が育つと思っていただろう〝カン違い〟から、こういった、サイドストーリーが産み出されてしまうことになったのだろうと思う。
そんなことを想像すると、正直言って、私やKちゃんは別の意味で〝被害者〟にもなりうるワケだ。そして、私は、母に対しても、Kちゃんに対しても、どこか不満を持ちながらも自身の中でその不満を〝抑制〟させ、何かしらで〝消化〟させるほかなかったこと、いわゆる〝未消化の感情〟が、私を雁字搦めにもしてしまったのだと思う。そして、それとは別次元で巻き起こっていた、ボス的存在のKちゃんと仲良くしていることが、クラスの中で仲間外れになりずらいことから、彼女に合わせ〝忖度〟していた同級生のことまで苦手になっていったし、同じように〝忖度〟するほかなかった自分自身のこともどんどん嫌になった。それでもその当時は〝忖度〟するほか手段を持ち合わせていなかったから〝仕方がなかった〟…。
ただ、Kちゃんが最悪だったのは、私が最も知られたくなかったことを、容赦なく人の手を借りてやってのけた人でもあった。それが、その後の私の人生において、様々な面で人を疑う時の土台になってしまっていたと思われる。
正直言って、この記事は、名指しはしていないが、特定の人にはわかる内容になるので、全世界に向けて彼女を〝公開処刑〟していることになる。ただ、なぜ、私がこのように記事にし、全世界へ向けて発信しているかというと、世の中全員が〝過去〟のことを気にせず、誰も恨むことなく、ショックのあまり記憶から消えていたりしても〝忘れる〟ことができない人たちが存在しているということを知ってもらいたくて、私はこうして言語化することにした。
こういった話は、自閉圏の講座を受講した人や熟知していらっしゃる人たちは理解していただけると思うが、世の中には「忘れられない人」もいるのだ。しかも、ネガティブなことだから尚更だ。そして、こういった事は、触法問題にも関することにも付随することに成り得るからでもある。
昔、発達障害の触法問題に関する講座を受講した中で、講師の方がおっしゃられていたことになるが、自閉圏の人たちの中には、〝過去と現在が同一次元〟なことや〝忘れられない脳〟のタイプだからこそ、フラッシュバックが起きた時、遠い昔に終わったはずの物事でも、地続きになったままで〝終わった〟こととして処理されておらず、そういったことから、昔の〝怨念〟をはらすために、加害者になってしまってしまうのではないか?といった話を聞いたことがあった。
私も、自分が忘れられない他者に傷つけられたことに限らず、自分自身が他者に対して無意識に傷つけたことや良かれと思ったエゴで相手を傷つけたことが全くないわけでもなく〝傷ついたこと〟も〝傷つけたこと〟どちらも覚えており、こと、自分が他者に対して牙を剥けてしまったことに関しては、きちんとしたカタチで謝罪できてないことも含めて、未だに〝罪悪感〟を握りしめている。相手のことも自分のことも許せるようになったこともあるが全てではない。なので、過去のネガティブな出来事も含めてこうして記憶している存在が在るということを知ってもらうことも大切なことだといった思いからでもある。
ということで、私に関わったことのある方で、過去に私から多大な傷をつけられてしまった方がいらっしゃるようなら、ご一報いただけましたら幸いです。ただ、現在、生活保護世帯であるので、慰謝料請求されてもお支払いすることができませんのでご了承ください。その代わり〝土下座での謝罪〟ならいくらでもしますデス。
ということで、この件に関ししてはこれで締めくらせてもらう。
徒然なる根に持っていたことを…
私は、大人になって数年前まで、頭は悪いけど、身体は丈夫なほうだとばかり思っていた。というか、思い込んでいたといったほうが正解なのかもしれない。
確かに大きな病気はしたことはなかったし、高熱がでたとしても38度程度で済んでいたし、頻繁に風邪をひくこともなければ、高熱がでることも稀だった。それでも、思春期になり〝未病域〟の身体的な不具合は感じており、母に直訴していたのだが、そんなの「気のせい」と却下され続けていた。今、思うと、おそらく、PMSの影響や〝感覚過敏〟などがあることで、自律神経失調症のような状況でもあったんじゃなかろうか?と思う。
大病はしなかったまでも、小学校1年生の頃に虫垂炎がわかり中学3年生までの9年間の間に何度か注射で散らしていたのだが、受験前に再度痛みがでたことから中3の夏頃に手術をしたことはある。後は、町内でも学校でも流行っていなかった〝風疹〟に私一人だけが〝罹患〟したこともある。〝風疹〟に罹患したのは、小4の頃だったと思うが、学校から帰宅し昼寝をした後、遊びに出掛けることを母に一言っておこうと母のいた一階へ行くと、母が私の首の周辺に湿疹がでていることに気がついた。当時の私は、食いしん坊だったこともあり、母は〝食あたり〟だと思いこみ『正露丸』を飲ませてすませようとしたのだが、湿疹が広がりはじめたので、かかりつけの病院へ行き〝風疹〟が発覚したのだった。この件は我が家では笑い話になっているが、大人になり自分が親になってはじめて〝風疹と麻疹〟の怖さを知ることになったのはいうまでもない。
と、親への恨み言になってしまうが、過去ブログにこんな記事があったので、転載しておく。
※誤字脱字や読みにくい箇所に関しては訂正しております。ご了承ください。
☆2016年6月6日から2016年11月28日まで旧ブログ「これまでイマココこれから」より
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2016-09-24 14:06:04 | 日記
『〝仕返し〟をしたい人、間違ってますよ! 』
私もよく、無意識にやっちゃう「仕返し」。
負けず嫌いが災いするのか否か
『自分の方が正しい!』
『私の考えてることが素晴らしい!』
『私のほうが知ってるし!』
そんな場面をみかけますが…。自分も気をつけたいことの一つです。私もそういう無意識の「仕返し」をやることはあるんですが、私が「仕返し」したかった相手は、両親だったことに気がついたので今年は地元の盆踊りで歌ってみました。
両親が一番嫌がることをやりました。私にとっては、人前で歌うことは全然恥ずかしくないし、むしろ気持ちがよいので、日頃のぼっちカラオケの成果を感じれるまたとない機会。
0円で、しかも素人がステージの上で歌えるってそんなにないので、私にとっては貴重な機会でした。緊張は全くしないわけではないけれど緊張して声が震えることもなくなったので、なんというか自分にとっては収穫でした。あー話がずれましたwww
私は大人になって無意識にネガティブな「仕返し」をこれまで両親にしてきたと思います。思春期の頃、何も考えていない天真爛漫な子どもでしたが、私は私なりに人と同じように考えたりできないことなどで悩んでいた時期もあったわけです。
私は私なりに滅茶苦茶、無駄な悩みを抱えていたのですが、両親、どちら共にも気がついてもらえていませんでした。私も言わなかったし。
それと、極めつけに言われた母の一言が
「あんたはノイローゼなんてなるはずがない」
「あんたが胃潰瘍なんてなるはずがない」
そんな風に笑いながら言われたことがあるのですが、私はこの二つの病を大人になって二つとも体験することになりました(苦笑)
それらの体験をした時、『私だって胃潰瘍なったし』『ノイローゼもなったし』と拗ねていた時もありました。 今思うと、私は母や父に「仕返し」がしたかったのだと思います。
本当にそういうことでネガティブな恩返しをやらかしちゃいました。「仕返し」のような恩返しするくらいなら、口で自分の思ってることを両親にぶちまければよかっただけでした。
胃潰瘍になったことで「ピロリ菌」の発見もでき除菌できましたし、精神科へ入院したことで、私は身体のことへ目を向けられるようになりました。
私にとっては、良い事もありましたが、親にとっては心配をかけただけで、「ネガティブな恩返し=仕返し」することになっちゃったなぁと反省しています。
私は自分の両親へしていた仕返しだけでなく、本当は同級生や学校の先生にもいつか「仕返し」をしたいと思っている自分にも気がつきました。それは、もうしなくて良くなったのでよかったなと思っています。
時々意味のわからないマウンティングや妬み辛み嫉みをぶつける人がいますが、そういう人たちは大抵「仕返し」したい人の的が外れてるなーと私は常々感じています。
今現在、「仕返し」の的にしているのは、大抵はダミーが多いと私は思います。そんな的外れな「仕返し」やるから自分の中の『悪』が膨らんでいくだけです。
もし、今、不毛な「仕返し」をしているなぁと感じる人は、自身でもビックリする意外な人への「ネガティブ魂」を抱えている自分に気がつくかもしれません。 不毛な他者への「仕返し」は自分自身にとってポジティブな行動でやったほうが絶対的に自分自身が心地いいと思います。
大概は、自分が「やりたかった」ことをダメだしされ、「やれなかった」又は「しない」選択をしたことを根にもってる場合が多いなと感じます。でもですね、結局ダメだしされたり、反対されたり、バカにされたりしたときに自分自身がどう行動に移したのかが問題であるので、例え相手が悪くても、自分が相手を傷つけても自分を守ってあげることができていれば、他者と痛み分けのような形でその時に『終れる』ことができたのだと思うのです。
最終的にネガティブな思いを抱えたまま「しこり」にするのは自分なんですよね。上手く未来までその感情を引きずらない人はネガティブな感情をその時に上手く「うけながして」いる場合が多いように思います。
それと、ネガティブな感情を感じたほうがその時のことを覚えていて、ネガティブな感情にさせたほうは全く覚えていないことが多いなぁと思ったりもします。だからこそ、ネガティブな感情はその時その時で対峙していくことが、大切なことだよなぁと思う今日この頃です。
親への恨み言みたいなことを記事にはしているが、一応うちの両親は両親なりに大切に育ててくれていることはちゃんと感じられてはいたのだ。
ただ、我が家の場合、虐待とはいかないまでも〝過保護〟と〝放任〟のバランスが悪かったような気はする。それが、極端なのがDVや虐待といわれることになるように思う。ただ、AC(アダルトチルドレン)といわれる人たちの中には、我が家のようなごく一般的な家庭でもAC(アダルトチルドレン)に当たる人たちが案外いるように思う。そして、目立ちづらいケースの場合、悪いことと認識されづらい。〝過保護〟と〝放任〟のバランスが当事者にとって、必要な場合もあれば、それが弊害になってしまうこともある。そういった不具合が不登校やひきこもりの人たちの原因でもあるように思ったりしている。そして、自身の中で閉じこもることが両者にとって現時点での一番の問題回避になっているのではなかろうか?と思ったりもする。
ただ、私たち世代の親(団塊の世代)は、特に、身体の不調に限らず、現代の親より、いろいろな意味で〝神経質〟ではなかった親が多かったように思う。ポジティブに捉えるならば〝大らか〟になるし、ネガティブに捉えるならば〝鈍感〟になる。 それは、その時代だったからこその親の判断になると思うが、こうした些細な物事でさえ、人によっては〝過保護〟に感じたり〝放任〟されてるように感じたり…。受け取る人次第でどちらにも受け取れる。
私の場合には体調だけに限ったことではなかった。私が小学1年生の頃の担任から、私の言葉の使い方について、遠回りに母は注意喚起されたことはあったらしい。その担任の発言に対し、我が母は〝自分が主語をとばしたコミュニケーションのスタイルだから…〟と当時の担任には言った事があったらしい。そのことについては、大人になって教えてもらったのだが、この当時にもし、担任からの言葉を母が少しでも疑問を持ち、気にかけてくれていたら、大人になるずっと前にでも、何らかの診断を受けることができただろうか? もし診断を受けていたら、私は今頃どんな大人に育っていただろう…。そんなことを思うこともある。しかも、40代になり〝てんかん〟の診断がでたのだ(苦笑)
子どもを生む前に〝てんかん〟の症状がでていたのにも関わらず、それを霊的体験(憑依)だと思い、お祓いにお金をかけても医療に頼ったことはなくほったらかしにしていた時期もある。親元から離れ、うつ病のような症状があったのにも関わらず、思春期時代に親に言われた一言で、私は精神科は無縁だと思っていた。
なぜ、そうなったのかというと、熱がないけれども身体に不調を感じる度に親に訴えてはいたのだが〝そんなの気のせい〟という言葉で片付けられていたことが多かった。
そういったことが、潜在的に〝ポイント〟として溜まり、成育歴やサバイバルすぎる〝生き方〟で倍満状態となり、産後うつにも気がつけないまま、結果的に30代をすぎてその時のシワ寄せが一気に顕在化されることになっただけのような気もする。
しかも私は【てんかん】のリスクを抱えていたことを知らないまま、子どもを出産した。ただ、私の場合には、陣痛は経験したが結果的に〝帝王切開〟だったからこそ、リスク回避ができたにすぎない。知らないっていうことが如何に危険であったかということや出産は当たり前ではなく〝奇跡〟に近いということをイマサラ思い知っている次第だ。
ただ、私自身も親のいうことを大人になってまで、真に受けたまま思い込み、身体の不具合を自身で突き止めようとしなかったのは反省しなければならない。決して親だけのせいではない。それが、思考停止状態だったことになるのか〝発達障害〟だったことから、真に受けて思い込んでしまったのかなのか…はわからないが、そういったことよりも、今更にはなるが大切なことに気づけたことは幸いだったように思う。
子どもに限らず、どんな些細な〝訴え〟も、どこかの段階で、誰かが拾い上げていくことが、大きな事故や損失から免れることにも繋がり、そういっいったことが結果的に〝リスクマネージメント〟になるとするなら、些細な物事だと思ってもそれらも含めて考察することは大切なことだと思う。
こういったエピソードがあることから、発達障害の診断を受けても〝自分が本当に発達障害なのか?〟それとも〝親の育て方の問題なのか?〟の視点は大きな違いだなと思うようになった。
要するに、母もまた自閉圏で〝ある〟か〝ない〟かで、私の診断も大きく変わるとも思ったからだ。特に自閉圏か否かでは、コミュニケーションエラーが、機能的な不具合なのか?又は外側からのアプローチ、とどのつまり、私に纏わる人たちのコミュニケーションが異質なことにより、私のコミュニケーションも不具合が起きてしまっているのかでは、診たては全く変わってしまうように思うのだ。 そして、自閉圏の場合〝空気を読めない〟とか〝行間を読めない〟とか、障害の〝特性〟としても扱われていたし、私も数年前まではそう思っていた。が、本当にそうだろうか?
これは、自閉圏だから〝空気を読めない〟のではなく、特に〝空気を読む必要もない〟ことを読んでほしい人たちの〝願い〟なんじゃないの? そして、それは、相手を〝コントロール〟していることにもなるんじゃないの?
行動統制ってやつ。えっ違うかな?と思うようになった。ようは、その場や誰かの意図に応じた〝空気を読む〟だったり、誰かの自己都合に合わせた〝空気を読む〟ならば、それは、果たして〝空気を読む〟必要があるのだろうか? そういった思いが芽生えたこともあり、改めて再度、私なりに【空気を読む】ということを〝考察〟ている最中だ。
こういった理由もあって〝空気が読めない〟という特性は〝障害の特性〟には〝当たらない〟と思ったほうがいいのではないか?とも思うようになった。いわゆる本人の問題よりも外側の問題のほうが実は大きいようにも思うからだ。本人にもわかるような〝注意喚起〟や情報を与えてもらえばわかることも、何も情報がないまま〝空気読めない〟ということは、なんか違うよね?ということでもある。つまり、世の中の過半数以上の〝空気を読む〟ということは、ある一定の条件においての定義になるかと思われるので、その定義ではその場が通用しない場合には、〝空気は読む必要はない〟ということにもなるワケで…。とまぁ、この件に関しては、まだまだ考察中でもあるので、いつの日か自分なりの答えが出た時は、何かの機会にブログの記事にでもできたらと思う。
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