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きょうのそら

2023年7月23日(日)Ain't No Mountain High Enough

 毎朝クマゼミが大合唱しているから梅雨が明けたような気がするけど、九州はまだだそう。
 数年前から寒暖差がバージョンアップするだけでなく、天気の予測はできても突然の大雨に見舞われたりしていて、5年10年先を見据えた生活をしたり価値観を変えてきたので、私は、なんとか揺らぎは少なく生きられているように思う今日この頃です。

 6月が終わって7月になり50年目の生誕祭を迎えたと思ったら、いつの間にか後1週間で7月も終わってしまいます。早い。本当に。
 1.5倍速で時間が流れている日々は、良くも悪くも私の経験値を研磨してくれているような気がします。時には、疲弊してしまうこともあるけれど…。
 今日の見出しにした英文は、20年前に観た映画『天使にラブソングを2』のエンディング曲『Ain't No Mountain High Enough』の曲名を使っています。この映画とサウンドトラックは、私だけでなく息子も気に入っていて、中でも一番好きな曲です。原曲はマーヴィン・ゲイとタミー・テレル(1967年)。
 大人になるまで洋楽はあまり聞いていなかったというか、興味があまりなかったんです。当時の記憶は曖昧にはなりますが、多分英語詩の意味がわからなかったから。興味関心さえむけば、辞書をひきながら和訳をしたのでしょうけれど、その当時の私だからこそ、多分挫折したんだと思うんです。
 中学の頃、部活とは違う〝クラブ活動〟があって、私はペンフレンドクラブで活動していました。活動の中で海外の人と文通する活動があったので、私はアメリカにANNちゃんというペンフレンドがいて、1年くらいの間、何通か手紙のやりとりをしていたことがあるんです。初めて返事が届いた時はすごく嬉しかったのが思い出されます。
 淵に赤と青の斜めに入ったラインの封筒にエアメイルの消印が入っていて、見慣れない筆記体の文字。あの時にやりとりしていた手紙は捨ててしまったかもしれないけれど、ANNちゃんの写真だけは捨てることができなくてまだ持っています。いつか会える日があったらと思って。

 クラブ活動をしている時は、先生に教えてもらえていたので、なんとか手紙が書けたのですが次の年は続けることができなかったので、文通は挫折してしまったんですね。英語に興味はあったのに、うまく翻訳できなくて途中で挫けてしまったのでした。あきらめないで真面目に取り組んでいたら良かったなぁと思うんですけど、もうその当時には精神的な病気が発症していたんだろうとも思います。とはいっても35年も前ですしド田舎在住だったこともあって情報がなかったことに加え、親を含め周囲の大人が気がつけていなかったというより、気がつけるような時代ではなかったことのほうが大きいのかもしれません。私たちの頃は根性論が当たり前の時代でしたし。
 今現在のようにPCを使ってネット等で調べられる時代ではなかったし、辞書をひいて自力で訳するまでの情熱を注げるほど音楽を好きだとはいえなかったのかもしれないのですけれど、もしかしたら、自分が好きな系統の音楽に出会えていたら、自力で訳して聴くまでにもなっていたのかもなんて思ったりもします。
 ただ、その当時は固定観念がガチガチだったし、日本語でさえも言葉や1文に含まれた意味を理解できていなかったことも英訳をする時に大切だったということに、ここ数年で気づき『遅すぎるだろ…自分。』と気がついた時には笑いました。
 後、思春期時代にはなんらかの精神病を発症していたのにもかかわらず、誤魔化して生きて拗らせてしまったことでの現在なので、何事も初動が大切だと改めて思うのでした。それでも、私たちの時代は「仕方がなかった」という言葉で自分を窘めるほかないのですけど。
 なんだか、言い訳ばかりを書き連ねておりますが、今よりも記憶力や体力がある若い頃にやってて損することってないな…って思うことが最近多すぎて落ち込むことばかりなんです。基本ネガティブ思考なので(涙)

 大人になって洋楽も聴くようにはなったのですが、歌詞の意味までを調べることがほとんどなく過ごしていました。割と曲調が好きだから…で好きになって聞いてることが多かったんですね。それでも邦楽に比べればそんなに聞いてはいなかったし偏っていたようにも思います。
 なんていうか、自分の本当に好きだったことは〝音楽〟だったけれど、いつの間にかそのことを忘れてしまっていたんですよね。日常生活に翻弄されすぎちゃってて。だからといって、日常生活が充実したり上手くいっていたのかといえば、そうでもなかったからこそ現在も絶賛人生の夏休み中(3回目)なワケですが…。
 
 洋楽の意味を調べるようになったのは、とあることがきっかけになったことに加えて、10年くらい続けている一人カラオケで歌うためだけのためだったりします。歌を歌うために歌詞の意味がわかっているかわかっていないかでは、私の場合感覚だけでは歌えないのでかなり努力が必要だからです。ええ。今時のカラオケ機器ってスゴイんですよ。ホント。
 なので、現在は好きだなぁと思った曲は必ず英語詩を読んで、和訳してある詩を読んでどういった曲なのかを頭にいれるようにしているというワケです。

 やっと本題(いつになく前置きが長い)。
 今日の見出しにした『Ain't No Mountain High Enough』。これを直訳すると〝高い山なんてない〟になるんですけど、なんで〝乗り越えられない試練などない〟になっているんでしょう…。
 それに、この一文って、好きな人多いじゃないですか。ポジティブですし。わりと昭和な人たちは好きな人が多いと思うんです(苦手な人がいたら、昭和いってすみません。)多分、スラダンの安西先生のセリフ「あきらめたらそこで試合終了だよ」くらい。
 で、〝乗り越えられない試練などない〟という一文というか名言は以前、尊敬していて大っ嫌いになった人がよく使っていらっしゃっていた一文なんです。だから、個人的にこの言葉を聞くとなんかザワザワするようになってしまったのもあるのかもしれません。
 そういった経緯もあって〝大好き〟と〝大嫌い〟を思い出すトリガーな言葉になってしまったのですが、これって実は誰も悪くはなくて、私の問題なだけなんですけどね。
 ただ、『Ain't No Mountain High Enough』という1文を抜き出し、名言や4字熟語のように使うのと、曲の中で使うのとは全く違ったりするので、この曲の歌詞の内容を知らない人に、曲の紹介をしつつこの一文だけを抜き出した説明をするのは、正直、やめて欲しいな…と思うことがあったりします。
 なんでかって、和訳を読めばわかります。曲にこめられた意味の受け取り方は人それぞれだけど、いやいや、そういうことじゃない。曲の素晴らしさを伝えるのだからこそ、敬意を持っているならもうちょっと読み解いて欲しいなと個人的に思う時があるんですね。自分も行間が読めないほうなので気をつけようとは思った案件となりました。

 この曲を知って、好きで何度も聞いていたのに、歌詞の意味を知ったのは数年前。今年21歳になった息子も大好きでYouTubeで良く聞くようになったんですね。確かに幼少期の頃に何度かCDを聞いたりしてはいたのですが、彼にひっかかっていたようで。YouTubeで調べて聴くようになったのです。親子で好きになるってどういうことなのか?と不思議に思ったことと同時期に原曲を知って聞いたことでマービン・ゲイ氏を知り、歌詞の意味も調べたことがきっかけでした。

 和訳を読むと〝乗り越えられない試練などない〟なんていう言葉は一つもありませんでした。大きく一つの言葉にまとめればそうとも読めるんですけど、なんか違うんですよ。そういうのが行間が読めてないってことになるように思うんですけど、違うんでしょうか?
 〝いつでも僕を呼んで。どんなことがあってもすぐ君の傍に行くから〟こんなふうに愛されたらたまらんわな。っていうくらい、別れた恋人に手向けられた愛の塊みたいな歌詞。
 ただ、高い山も深い谷も広い川、雨も風も吹雪も…二人にとって障害ではないなら、お別れしない関係性をどうすればいいのか喧嘩しながらでも、やり直しできたほうが私は嬉しいけどな…。と思う2023年夏でした。
※まだ始まってはないけど、九州以外は梅雨明けしたのだし…。もう夏でいいでしょ。

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