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【随筆】大晦日に願う、小さな幸せ

 リモート忘年会をした。今年2回目のリモート飲み会だ。

 高校時代からの友人3人と、その内のひとりの奥さんを入れて5人。僕が妻の他に唯一心をゆるして話ができる貴重な友人たちである。

 彼らとは毎年、夏と冬の長期休暇に会っていた。時には、旅館やらコテージみたいなところで一泊したりもした。沢山飲み会もした。誰かが結婚して家庭を持っても、なんだかんだで変わらずに行ってきた、いわば恒例行事みたいなものだ。

 それが、今年は一度も会うことが出来なかった。皆、それぞれがてんでバラバラな土地に住んでいるため、コロナ禍においては容易に集まることができなかった。

 だから夏と、そして昨日、ディスプレイの中で集まってお酒を飲み交わしたのだ。

 久しぶりに腹筋が痛くなるほど笑った。

 普段、会社と家の往復の中ではなかなか腹を抱えて笑うことはない。僕が腹を抱えて笑うときは、たいていがシュールでくだらなくて、ちょっと変な話なのだ。そんな話が日常生活のなかにゴロゴロ転がっていたらどんなに幸せなことだろう。

 現実は、生活するための話。つまりはお金や健康や、仕事のこと。そんななかで、少しでも幸せに、面白おかしく生きていくために工夫をしていくための会話だったりするわけで。こう冷静に簡単に言い切ってしまうととても虚しいじゃあないか、まったく。

 だからこそ、難しいことなんてなんにもなく、ただただ自分たちが面白いと思うものを持ち寄れる集まりを、時に求めてしまう。

 そこは、16歳の自分がいた場所だ。未来のこと、もっといえば一年先のことですらどうでもよくて、とにかく今しか楽しむすべを知らない自分たちがいた、その場所に束の間戻れる。きっと僕だけじゃなく、みんながそれを求めて集まるのだろう。

☆ ☆ ☆

 僕らはもうすぐ40代に突入する。信じられないことだ。心が置き去りにされて、身体やら年齢やらだけがトラックの荷台に載せられて突き進んでいく感覚。

 誰か、そのトラックの運転手を引きずり降ろして、そいつからハンドルを奪って欲しい。それからトラックを僕らの心が置き去りにされているところまで戻してきてくれないかな。

 最近、鏡の中の自分の顔に、細かいしわが増えた。疲れがたまったなぁと思ったときなどは、目の下が心なしか黒ずんでいるときだってある。身体は正直だから、辿ってきた道のりをそのまんま表しているのだ。勘弁してほしい。

 心はまだまだ若いつもりで、実際にアイデアなんかはもっと若かったころよりも今の方が潤沢だったりもする。

 だからこそ、身体を戻して欲しいなぁ、なんて思ってしまう。

 笑ってしまうけど、切実だ。すぐ疲れるし、眠くなるし。

 友人たちとの会話の中にも、ちょこちょこ身体の不具合の話が混ざる。僕自身も、二年前ほど前に病気で手術、入院騒ぎになった。今では笑い話だけれど。そうそう笑ってばかりもいられなかったりもするけれど、まあ、笑ってなんとかなるなら、その方が良い。

 けれど、今までに数えきれないほどの数の人々が、同じように願ってきただろうけど、叶えられたことはないだろう。

 だったらせめて。せめて心だけは、あの頃の柔軟さを保っていたい。面白いものを敏感に捉えることのできる、柔らかい心。そして、笑うことを決して忘れないように。

 そんなことを、友と飲んだ時間で、つらつらと考えていた。

☆ ☆ ☆

 

 2021年は、どんな一年になるのだろう。

 どうなるにしても、健康で、大切なひとたちと笑いながら暮らしていけたら、それだけで充分だ。これは今年一年を通して知った、自分の普遍的な願望だ。

 ここでこうして、とりとめのない文章を、とりとめもなく書くことが出来ていることの、その幸せを想って。

 今年の2月から始めたnote。とてもお世話になりました。

 みなさま、よいお年をお迎えください。


 12月31日  青海空人

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