【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第二部 ③
第二部
三、
「シんだ人間……?あの時と、同じ……?」
「あぁ、そうだ」
刹那、咲良と綿曽根の混ざり合った視線の間に漂う、硬質な何か。それは間違いなく二人にしか分からない類いの“何か”だ。現に彼らの様子を傍らでただオロオロと眺めているリンには、二人の間の異質な緊張感は伝わっていない。
「そいつは、自分の大切なひとを自動車の轢き逃げ事故で亡くした。もう数年も前の話だ。もちろん轢き逃げした野郎も警察できちんと処理されている。けどな、何を血迷ったのかそいつは、“本当は自分が殺したんだ”なんて言い出したんだ。おかしいだろ?だって轢き逃げ犯は間違いなく警察に──」
「ちょっと待ってよ」
勢いに任せて半ば唐突に本題に入りかけた綿曽根を、咲良が制止した。
「なんだよ?」
「さっきからハカセくん、なに言ってんの?」
「はぁ?だから──」
直情型の綿曽根には、咲良の質問の意図が分からない。
「俺の幼馴染がさ、ちょっと困ったことになってるんだよ。そいつとは幼稚園の頃からずっと一緒で、とうとう二人して東京にまで出てきてさ、まぁ今もお互い燻ってるけどな、だから俺としては力になってやりたいって気持ちもあって。でもさ、なにがどうなってんのかわかんねーのさ。俺も頭は良くないけど、そいつも要領を得ないっていうか、かなり混乱してて──」
「ちがう!」
突然発せられた咲良の怒声に、目の前に立っている綿曽根も、それを見守るリンも驚いて目を見張った。
「ちがうよ、そんなことじゃない!もっと前。“あの時と同じ、シんだ人間”ってハカセくん言った。それってもしかして真琴のこと?そうなの?」
「あ、あぁ……そ、そうだけど」
「なに言ってんのさ、ハカセくん!ほんと真琴がシんじゃったって思ってるの?ほんとに?ねぇ、ハカセくん!」
ふと気が付けば、今度こそ咲良は泣いていた。大粒の涙をメガネ越しの大きな両眼から流し続けて。
今にも綿曽根に掴みかからんばかりの勢いでにじり寄ってくる咲良を、綿曽根は完全に持て余した。気圧されて一歩後退してしまったほどだった。
「お前、一週間後が何の日かさっき言っただろうが。命日だよ、真琴の。今年で三回目の命日だ」
改めて口にするのも本来は嫌なことにも関わらずそれを言わせた咲良に対して、本来ならば当に怒鳴り散らしているであろう綿曽根も、そのトーンは弱々しい。そうならざるを得ないほどに、咲良の涙には痛々しいものがあった。ギリギリと胸が締め付けられる。
「メイニチって、“命の日”って書くんでしょ?それって真琴の命の日なんだよね?ハカセくん前に言ってたよ。真琴の命を解放した日だって。ボクとハカセくんで、真琴の魂を苦しみから解放した日なんだって。真琴がシんじゃった日なんかじゃないってハカセくん言ってたじゃん!だからボクは……ボク……あんなこと」
その瞬間、綿曽根は咲良の言わんとしていることの全てが分かった。そんな気がした。
それはやはりあの日、咲良と二人で共有した、生涯決して忘れることのできない体験のことを追想するものだった。咲良はきっと、そのことを軽んじて口にした綿曽根に対して怒っているのだ。自分の幼馴染の悩みだか何だか知らないが、そのことと“あの日の記憶”を結びつけて考えた綿曽根の軽率さを咲良は許せないのだろう。
『魂の色って、何色なのかな?』
咲良の声。あの日の、声。
「出てってよ」
微かに聞こえてきた咲良の声に、一瞬で現在に引き戻された綿曽根は、何と言われたのか理解していながらも咄嗟に「は?」と聞き返してしまっていた。
「出てって!もう帰ってよ!ハカセくんのバカッ!」
両腕で強引に押し出され、次いで盛大な音を立てて部屋のドアが閉じられた。使用人であるリンも気が付けば綿曽根の隣りで眉根を寄せて呆然と立ち尽くしていた。
「なにがなにやら全然わかりませんよぉ~ハカセさ~ん」
ゲームのことであれだけ上機嫌だった咲良が、綿曽根のたった一言で急転直下の激変を見せたのだから、リンにとってはまさに青天の霹靂であっただろう。
「スンマセン」と頭を下げることしか綿曽根にはできなかった。
* * *
「リンさんは俺と咲良と、それから真琴のことをどこまで聞かされてますか?アイツから」
リビングに置かれたL字型のソファーに腰掛けながら、リンに向けてこの状況を綿曽根は簡潔に説明することにした。そのための前提として避けては通れない話題を手始めに口にする。
リンは綿曽根の手前、心なしか少したじろぐような表情を浮かべてから、言葉を選びつつ知っていることを羅列した。平時の間延びした口調を意識して抑えながら。空気が読め、かつ相手の心情を慮れる人間なのだ、鈴香という女性は。
「真琴さんは……ハカセさんの妹さんで……咲良様のお友達だった方ですねぇ。辛いことですが、亡くなられてしまわれた……。それで来週が真琴さんの命日で」
そこで一度言葉を切ったリンは、一度主人の部屋のドアを見た。綿曽根は意識的にそのドアに目をやらずに頷いた。
「その、真琴の死因やらその時の詳しい状況なんかは?」
ブルブルとオーバーに首を左右に振るリン。咲良は本当にそのあたりの情報はなにも話してはいないのだろう。
「あいつは、真琴は自分で命を絶ったんですよ。中学三年生の夏休みでした」
“自殺”という直接的な言い回しを口にすることは今もって綿曽根には出来ない。荒々しさを覚えるその言葉が怖いのだ。妹の最期の壮絶な姿を目にしてはいないにも関わらず、綿曽根はその言葉の持つ残酷なイメージを徹底的に排除している。その無意味な抵抗が一体どれほど役立っているのか分からぬまま。一方で、変わり果てたその姿を目の当たりにした母親は今もベッドから抜け出せずにいると言うのに。
「どうして真琴は死ななくちゃならなかったのか。その原因を突き止めるために俺は咲良を利用したんです。巻き込んじまったんですよ。悪いのは全部俺だ。アイツの眼を、あんなことに使わせた。障害があるにも関わらず、いつも真琴と外を駆け回っていたあいつを、あんな真っ暗な部屋に閉じ込めているのは俺なんだ」
「その……咲良様の両眼は……」
「分かっています。アイツの眼に視えているのは白黒の世界で、色の違いが全く分からない。全色盲って言うんでしたっけ?先天性の。真琴から一番最初に教えられましたよ。けどそんな障害を障害と思わずにそこら中をバタバタ走るって。あれは何色だこれは何色なんだっていっつも聞いてくるって言って笑ってたな。アイツには色の概念そのものがないって言うのにね。聞いたって分からないってのに、まったく変わった奴です。でも──」
──でも咲良には色が分かったんだ。あの日、あの場所で。
「一体なにがあったのでしょうかぁ~ハカセさんと咲良様のあいだに」
リンは当然の疑問を口にした。天真爛漫な主人が負の感情を剥き出しにすることなど滅多にないのだろう。その発端となったわだかまりの存在を知りたがるのは当然の成り行きだ。自分の口からリンに語って聞かせることはできる。けれど脳裏に浮かぶのはつい先ほど目の当たりにした咲良の剣幕だ。果たして今ここで話すことは得策なのか──。
黙考の末に綿曽根は。
「リンさん、すんません。そのことはアイツもいるところで、アイツの口から聞いてください。今までリンさんに話してないってことは、たぶんまだタイミングじゃないってことなんだと思います」
いつもは飄々としている綿曽根のその真剣な眼差しに、リンは黙って頷いた。
「ではではわたし、咲良様が打ち立てた新記録がどのように扱われるのか運営さんに電話してきますぅ~。あ、お茶を入れますのでハカセさんはまだまだゆっくりしていってくださいねぇ~」
そもそもここを訪れた厄介ごとを未だ後生大事に抱えたままでいることに思い至り、しかし当の相談相手の精神状態が分からずどうしたものかとモヤモヤとし始めた綿曽根は、リンに生返事をすると天井のクルクルと回るシーリングファンに目をやった。
──ゲームの新記録か……。
そんなに大それたことなのだろうか。綿曽根には全く理解できない。ゲーム。ゲーム。待て、最近どこかでもゲームの話を聞いたぞ。どこだ、どこで聞いた?……黒の、家?黒の家!そうだあれは末永のアパートの壁に貼ってあったポスターを見て、俺が尋ねたんだ。お前もこういうの好きなんだな。『あぁそれ。エフツーってゲーム。やり込んでたんだ昔。トップギルドのメンバーだったから。かなり前に脱退しちまったよ。黒の家っていう、今じゃ伝説的なギルドだわ──』
黒の、家?
伝説的な、ギルド──。
瞬間、綿曽根は固く閉ざされた部屋のドアへと弾かれたように駆け出していた。
「おい、咲良!その幼馴染は“黒の家”のメンバーだった奴なんだ!エ、エフツーの」
しばしの間があり。
ドタドタドタ、ガチャリ!
ドアが開かれた。外界の眩しさに眼を固く閉じた主人が、しかし口は大きく開きながら叫んだ。
「く、くくくくわしく聞かせろやーーーーい!」
(第四話へ続く)
illustrated by:
Kani様