隣の芝生は青い

「あんたなんてたいしたことないわよ!」
「あんたなんかより啓輔の方がもっと可哀そうなんだから!」
「隣の芝生は青いのよ!自分が一番可哀そうだと思うものなのよ!」

私は母や家族に甘えたことが無い。
正しくは、甘えさせてもらえる位置にいなかった。

だから幼少期の本能的不安、思春期の多感な悩み、社会不安。
全て自分で抱え込むしかなかった。

私が小学生で塾に通っていた頃。
やはりそこでもうまくいかず日々悩んでいたとき。
辛くてどうしたらいいのか思いあぐね、思い切って行動に出た。

同じ塾に通うお友達に聞いてみたのだ。
「・・・あの・・・あのね、私のこと・・・好き?それとも嫌い?」

お前みたいな奴は皆から嫌われる。
誰もお前なんか好きにならん。
なんでそげんお前は性格の悪かとか。

いやーね。あんたお友達にいじめられてるの?嫌われてるの?
私もあんたのこと嫌い。
外面ばっかよくてほんと嫌な子、いやらしい子。

父も母も私をサンドバッグさながら鬱積をぶつけ続けた。

だから。
私は自分が嫌な人間なのかを誰かに確認したかったのだ。

その同級生に聞くことにしたのはたまたま二人きりになったから。

かなりの勇気を出して質問した。

沈黙。
引きつった顔。
困惑した顔。

そんな間があった後、顔を背け小さな声。

「・・・・どちらかといえば・・・・・きらい。」

そのままかけていった。

ものすごくショックだった。
やはり私は嫌われ者なのだと理解した。

今にして思えば突然の事に面食らったことだろう。
それでもなんとか答えてくれた相手の心中より、私にはショックしか残らなかった。

漠然とこのような質問に駆られるほど追い詰められている。
これが私の日常だった。

そんな私だったけれど、中学生の頃に一度だけ母に相談したことがある。

お友達とうまくいかない。
自分でも誰かでも、仲間外れや悪口を見聞きするのが辛い。

そんな内容。

話を聞き母は言った。

「私も人間関係あんまり上手じゃないから。
あんただけじゃないわよ。私だって苦労してきたんだから。
自分だけが大変だと思うんじゃないわよ。」

これは答えになっているのだろうか。

やはりこの人は私を守っても助けてもくれないのだと思った。

2歳の頃、目の前で変質者にいたずらされている娘を全く見ようともしなかったあの時の母と同じ。

母に相談らしいことをしたのはこの時だけ。

その後も母は変わらない。

何の話をしても、何の愚痴をいっても。

「あんたなんかたいしたことないわよ。」
「あんたより長兄の方がもっと大変なんだから。」

私は私の話をしているのだけれど、二言目には長兄の方が・・・となり、最終的にはいかに長兄が可哀そうかという話で終止する。

私が結婚を考えている相手の話をしたときもそう。

「・・・長兄より妹が先に結婚するなんて!!」

忌々しい顔で、忌々しい声で。
一言。これだけ。

私の相手の事にも興味無し。
私の適齢期にも興味無し。
私の人生にも興味無し。

興味があるのは長兄だけ。

いついかなる時も。
そこに次兄の名前が挙がることも、もちろん無い。

「長兄の方がもっとかわいそうなんだから!」

遠路はるばる来た母が私の家に泊まり、その時に話す生活の愚痴。

それさえも許されない。

「あの子の方がもっと大変なんだから!
お父さんも給料上げてあげればいいのに!
子供手当って3万ぽっちあげてるけどそんなもの!
そんなことより給料をあげるべきなのよ!
ほんとケチなんだから!」

自力で生活している私の愚痴は、庇護下の長兄への憐憫にすり替わる。

「隣の芝生は青く見えるのよ!」
という前置詞を以て。

給料としてではなくポケットマネーから渡せば税金が掛からない。
そんな父親の配慮であろうことは言わなかった。

隣の芝生。もしもあの人がこの言葉を自分に向けることが出来る人だったなら。

不毛だけれど。

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