痩せているということ

私は痩せている。

誰かが私を指すとき、『あのほそい人』となる。
見ず知らずのおばあさんが突然、あなたすごく痩せて・・食欲無いの?と声を掛けてきたことがあるくらい痩せている。
とはいえ、まだ面と向かって言われる程度ではある。

幼稚園の頃の写真には柔らそうなハムみたいな子が写っている。
それ以降ずっと細い。
細さに反し、小学高学年時には体力測定でクラスのトップになるほど力が強かった。

いつも細い私を見て周りの人が言う。
「大丈夫?ちゃんと食べてる?もっと太ったほうがいいよ。」

父が見苦しそうに言う。
「なんかお前は。ガリガリでいっちょん胸も無かやんか」

母が張り合って言う。
「あんたは太らない体質だからいいわよね!私だって昔はあんたより細かったんだから!だけど私の方が胸はあるわよ!」

兄達も同様。
「お前はいいよな。お前はいいよな。お前はいいよな。。。」
何度ほど言われただろうか。

私は、家族が私を心配するという場面を思い浮かべることができない。

家を出た私がどんな具合で生きてきたか、父も母も知らない。
聞かれたこともなく、興味も、特に無いのだろう。

私は帰省する時、明るく元気に強く平気なふりをする。

すると、お前はいいよな。俺はかわいそうなんだと長兄が悪態をつく。
思い込みの私像を据え、ひたすら自分をかわいそうがり浸る長兄。
とても気分の悪い、お門違いの攻撃と芝居じみた悲劇ごっこ。
私にも感情があるということを意に介さない、母そっくりの愛玩子。

「大変だね」
この人はこの人なりに大変なのだろう。私の方がまだ強いのだから大丈夫。そう言い聞かせ、色々な思いを飲み込み黙って聞き続けた。

父の庇護下の母と兄二人。
家を出た私が帰省すると父が言う。

「お前はえらか。一人でちゃんとやって。この家で一番しっかりしてる。たいしたもんだ。」

そう話しだす父の口調と語調はひとりでに変容する。

「お前は調子に乗るなよ!世間をなめとったら痛い目に会うぞ!軽く考えやがって!世の中甘く見んなよ!」

父が私の状況を知ろうとする姿勢はない。
自分の目に映る平気なふりをしている私がどうも気に入らないのか。

父親として娘に威厳に満ちた物を申すことは大事でも、
娘が実際どうなのかということは大事ではない。
自分にどんな感情を引き起こさせるかが私の価値で、それは昔からずっと、ずっと変わらない。

小さな頃から常に緊張状態だった私はエネルギーを消耗し続け、
いつも強張って構えていた体は無意識に筋収縮を繰り返し筋肉を増大させたのだろう。

筋トレなど全くしないけれど、ジムに置いてあるような体組織計で出る数値は、トレーナーが驚くアスリート値を示す。

あの時分、何か夢中になれるスポーツと出会えていれば私の意識は不健全から逃げ切ることができたのかな・・そんな不毛な事を考えたりもする。

家族の中で一人だけ痩せている体。
望んでそうなったのではない体。

冷たくて固い、あの人達を象徴するようなそんな体じゃなく
柔らかくて温かい、そんな体になりたかった。

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