自己憐憫 = 二浪の背景
長兄は2年浪人して大学へ進学した。
私と次兄は現役で大学へ進学した。
これだけでは長兄の頭が悪いように思えるが実際はそうではない。
両親は私と次兄の進学について興味が無く、いわば『どこでもいい』状態だった。
片や長兄には相応の大学でなければ世間体と従業員への示しが付かないという理由で一定のハードルを課せられた。
その結果、長兄だけが浪人することとなった。
そこだけ切り取ると長兄が俺は犠牲者だ・・・!と思うのも分からなくもない。
だけど事実は少し違う。
一浪目、彼は都会の予備校へ通うため、そして勉強に集中するという名目で一人暮らしをした。
浪人したことに被害意識を持っている人間が親の目から離れるとどうなるか。
二浪が決定した。
二浪目、彼は家に戻された。
私はまだ高校生で実家に居り、腫れ物に触るようなピリピリした空気がたまらなく嫌だった。
母親からは幾度となく長兄の機嫌を損ねたら承知しないと圧をかけられ、長兄は俺の機嫌を損ねたらどげんすっか!という威圧風を吹かせていた。
父はこの空気感を知らない。
なぜなら父に対して自己憐憫が投げつけられることはないから。
その年、次兄は大学で実家を出ていた。
もともと居心地がいいとはいえない家の中、母の言葉を借りると『繊細でかわいそうな長兄』だけが居ることに心が重かった。
ある日高校の修学旅行で撮った写真を母親に見せているところに長兄がやってきた。
「なんかお前のこの顔!ひゃー!こげん作り笑いして気持ちん悪かー!」
・・・見てくれなんて頼んでいない。
いきなり、一方的に、そして嬉々と。人が嫌がる言葉を言う。
私は以前の扱いのおかげで写真に対する抵抗がある。
これくらい本当は大したことではないのかもしれない。
私は嫌な顔をしながらも黙る。
なぜなら長兄の機嫌を損ねるなと言われているから。
もちろん母がそんな長兄を窘めることもない。
そんな空気の中、その年父の目に適う大学に合格した。
後で知ったことだけれど、父は大学の教授に挨拶に行っていたそうだ。
それが功を奏したかしなかったか、それは分からないけれど九州から東京まで父は長兄の為に一生懸命だったのだろう。
これも後から聞いた話、最終2つの大学に合格したけれど各大学の合否発表と入学金納付期限のタイミングの兼ね合いで、どちらにでも転べるよう両校に入金したそうだ。
この時意見の違いからか母は父から殴られたと言っていた。
母の意見はもちろん、入学金を二重に払えというものだった。
二浪し、入学金を二重に払ってもらい、父親は東京まで出向き頭を下げ、入学金を巡って母は殴られた。
大事な大事な愛玩子。
そうして無事大学生になった長兄は言う。
「親の犠牲で行きたくもない大学行ってから馬鹿んごたん!」
・・・代わってやろうか?
両親はたぶん、私と次兄の行った大学の名前も憶えていない。