自己憐憫 = ギャンブルの負債

父は『学生の本分は勉強』という考えだ。
だから子供達はアルバイトを禁止されていた。

大学生になってもそれは変わらず、だけどいつしか長兄はバイトを始めていた。
マツリなんとかという居酒屋で、父親は長兄を称賛していた。

「あいつはえらか。勉強もあるとに社会勉強のためアルバイトもしてたいしたもんだ。」

社会勉強という響きが父親を懐柔したのだろう。

仕送りは充分、昼は大学で勉強、夜は社会勉強のためバイト。
そんな立派な長兄はある時私にお金を貸してくれと言ってきた。

東京にいる長兄から関西にいる私へ電話は突然だった。

もうずいぶん昔の事で金額は忘れてしまったけれど、10万だったか20万だったか。
次の仕送りまで生活できる金額だった。

長兄はパチンコに嵌っていた。
仕送りのお金もバイトのお金も、たぶん底をついたのだろう。

正直嫌だった。
貸したお金に利子として3万の品物を買うよう悪条件を付けた。
それでも貸してくれというので送金した。
お金を貸した話は誰にもしなかった。
貸しを作っておくことは悪くないと思ったから。

それから数年、長兄は卒業後も大学研究室に2年ほど在籍し、その後実家へ戻った。

実家に戻った長兄はよく言っていた。
「ここは田舎で何もない。金を使うところもないから貯まるばっかりだ。」

あの時のお金を返すとは一度も言わなかった。

『貸したものはあげたものと思え。』
そんな言葉があって、是が非でも返してもらうつもりはなかったのだけれど、その頃社会人になっていた私はどうにも生き辛く、うまく社会に適応もできず、その場しのぎの生活をしていた。

そんな生活を数年、とうとう返金してくれるよう言うことにした。

貸してから何年ほど経っていただろうか、初めて口にした私に長兄は心外そうな反応を見せた。

「・・・え?ほんなこつ返さやんと?」

内心、ザワザワした。
すっかり忘れていた!そんな風ではない。
この俺に返せち言うとか?そんな風だ。

努めて冷静にきっちり利子も含め返すよう告げ、その通り後日返金された。

貸してもらったことへの感謝も、返すのが遅くなったことへの謝罪も、自ら返そうとしなかった羞恥も一切ない。

あったのは、
「これでちゃんと返したけんな!」
苦虫を嚙み潰したように吐き捨てた言葉だけだった。

父親の目に見えている長兄と、私の目に見えている長兄は違う。

どちらが正しいではなく、私の判断は私が知っている事実に基づいている。
それでも父は長兄を信じ、たくさんの事実は『そんなことあるわけがない』とされた。

どうしようもないのだろう。

私はなぜこんなにも長兄の事を記憶しているのか。
自分以外に興味の無い母親が、長兄の事に関しては延々と話すから。

だから次兄がどんな学生生活をして、その後どんな生活をしていたかは殆ど知らない。
次兄について知っている事は、私が直接本人から聞いた僅かな事だけ。
それすらも両親長兄が語る次兄とはかけ離れている。

衣食住を充分与えられた放置子。

衣食住を充分与えられたのに、放置子。

いいなと思ったら応援しよう!