長い旅の途上
先日8月8日
ライオンズゲートが全開、新月の、一粒万倍日。
そんな特別な一日は、短期バイトの仕事にいそしんでいました。
図書館での配架作業です。
せっせと棚に本を戻していたとき、ふと目にはいったのが、星野道夫さんの本でした。
あ
今日は。
星野さんの命日でした。
1996年8月8日、星野道夫さんはカムチャッカ半島で熊に襲われて亡くなられました。
私は作業の手をとめ、本を手に取り、星野さんのことを想いました。
星野道夫さんは、私の人生に大きな影響を与えました。
出会いは映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』でした。
熊について語る星野さんのインタビューに惹きつけられました。
星野さんのつむぐ言葉、世界観、そして写真が大好きになりました。
心が洗われて、何か大切なものを思い出せる気がします。
とっても大切なことです。
命の不思議さ、生きていることの不思議さ、魂について、、、
自分とは何者なのか、自分を生きたい、ともがいていた20代
彼の本を読み、写真展に出向き、憧れと希望、尊敬の念を抱きました。
自分を生きるヒントのかけらを、必死にさがし、集めていました。
星野さんの作品に触れると、私は私でよいのだ、私は私の感覚を大切にしよう、と思いました。
アラフォーになった私。
権威的存在への転移反応に絶賛取り組み中です。
その中で感じていること。
「私は私」
今、私はこのフィールドを自分で育み、強化していくときだということ。
相手は親でも祖父母でもない。
何十年も、私は権威から自立していないことをしみじみと感じています。
子どもの意識の、もう役に立たないめがねを、外すときがきたようです。
私は、私だから。
ひとりの「私」という人間になるために。
反応は起こる。
まだ慣れない。
うまく、完璧にやろうとしちゃう。
それでも、今までとは違う道を。今までとは違う見方を。選択を。
さまざまな角度から自分が自分のために入れていく。
時に、待つ時間を、ただ何が起こっているか感じる時間を、スローダウンな時間を自分に与えながら。
私が私でいることで、他の人がどう思おうとも、私は死なないし、世界は壊れない。
私が私でいても、私は愛する人とつながっていられる。
私が切らない限り。
切っていたのは私。
それだけ、世界は本当は優しい。
お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、私は愛していた。
心から。
愛する人しかいなかった。
そして私はみんなから愛されていた。
分けてもつ、ができなかった。
いろいろなことを知らなかった。
子どもの意識が創り出した恐怖や誤解を、ひとつひとつといていく。
それに。
何が起きても、究極わたしたちは守られている。
そもそもが神さまの手のひらの上に、神さまの愛の中にいるのだから。
いのちの不思議さ
たくさんのめぐりあい
私たちはみんな、長い旅の途上。
お盆な季節
おじいちゃんおばあちゃんに想いを寄せて。
家族に想いを寄せて。
出会うたくさんの方々に想いを寄せて。
星野道夫さんに想いを寄せて。
地球に、宇宙に、想いを寄せて。