人生のデフォルト設定
今朝の散歩道は、雨上がりの霧の中でした。
しっとり水に浸されたあとの世界。
におい、空気の肌触り、空の様子、生きものの様子
晴れた日も、雨の日も、一日も同じ日はなくて、これは楽しいことだなと思います。
さて
10月30日、Zoomでのキャラクトロジー心理学のお祭りが終わりました。
入門講座ということで、少しだけ私もお話をする時間を頂き、初めて人前に出るという体験をしました。
始まる前には何度もトイレに行きました。汗
終わった後、身体に反応がありました。
みぞおちが痛くなり
背中も痛くなり
ああ、思ってる以上に私は緊張していたし、こわかったし、防御をしていたんだな、と思いました。
私、身体を感じてなかったんだ、と思いました。
体の感覚が戻ってきたんだなと。
オンタイムでは全然気が付きませんでした。
今回のことで起こった気づき
私は、本当の自分自身に寄り添うこと、本当に自分自身に寄り添うということを、していなかったのかなあということです。
私は幼少期、なんでもやりたがりで、目立ちたがりで、しきりやで、落ち着きのない子どもでした。(月星座が牡羊座)
そういう要素を否定されて
※正確には、幼い子供の私が「否定された」と感じた、または「これでは私は愛されない」と誤解をしたのですが。
またはその要素から、恥ずかしい想いをしたとかで
ありのままの自分は愛されないとか、私はだめだ、私は価値が無いと思い込み、そこから自分に矯正をしてきたというようなところがあり。
私は、自分の存在価値を満たすために、つまりは承認されるために
「挑戦する、人前に出る、発信する」
総じて「表現する」をしてきたんじゃないか。
無価値感、穴を埋めるための行為の次元で、これらをしていたのでは?
と思いました。
参考になるのはマドモアゼル愛さんの、月は欠損について
からの、岩瀬さんの動画
まとめると
今回のことで思うのは、私はデフォルトの意識がダメ出しでいっぱいだと思ったんです。
自分を癒すこと=自分がより良くなること
ではなく
自分を癒すこと=自分のダメなところを直すこと、自分のnot enoughなところを満たすこと、穴を埋めること
だったと。
自分を癒すことが楽しいワクワクすることでないのは、デフォルト設定が歪んでいるからでは?
デフォルトがマイナス設定だとキツイです。
デフォルトで実はもう100%fulfilledな存在だとしたら。。。
ディフェンスをする私も、ローワーセルフの私も、自分の一部。
まるごと受け入れている必要があるのでした。
だって、傷を癒して、エッセンスに開いていくということは、自由になることで、ドキドキワクワク、新しい自分の発見、生きることが拡大していく、とっても最高なことのはず!
なのになんで?
素直にひらけないの?
そこが傷と誤認の場所。
なんだろうなと思います。
そもそも私たちは完璧な存在。
だからこの地上に生まれてきている。
ありのままで無条件に愛されている存在。
何をしても、何をしていなくても。
このことが、アタマじゃなくて、ハートで感じられるようになるには。
そのために、やっぱり癒し続けるのかなあと思います。^^
今朝の空は、水彩みたいで
心に色がにじむようで
とてもきれいでした。
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