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成長したい 誰もが持っている純粋な願い


「どこかにたどりつくことを求めることは、瞑想と逆」

今朝、この言葉に出会いました。

ヨガと瞑想を実践し、活動されているArisaさんの言葉です。ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在していたとき、自分を見つめる時間を持ちたくてyoutubeを検索、Arisaさんのyoutubeを見つけて以来、ずっと観させてもらっています。


ここしばらく、体調を崩していました。頭のぐるぐるがとまらなくて、強制終了もできない。そんな自分と過ごしながら、体がメッセージを送ってくれていると思いました。

ちゃんとキャッチできてるかはわからないけど。

「今の私の心と体の使い方が違うよ」もっというと、「あり方が違うよ」と教えてくれている気がしました。

私は何かを目指して生きてきました。テストでいい点数を取ること、人より優れていること、褒められること、いい大学に入ること、痩せていること、かっこよく、すごいと思われること、ステキに見えること。ステキに見える生き方を、目指していました。

競争意識で、どこかのゴールや合格点を目指すのは苦しいです。
どこにもいかなくていい、いまここにいて、いまここに生きればいい。Arisaさんの言葉を読んで、そう感じました。

そして、これ大事なことかもと思ったのは。

人間には、この永遠のかけっこのような、ありのままの自分を置き去りにした「成長したい」とは別に、本来人間に備わっている「成長したい」という本能?のようなものがあるということです。

たったの3年間ですが、こどもと関わってきて感じたことは、こどもは「学びたい」と思っていることです。こどもは、この世界のすべてが大好きで、気になるし、世界を知りたいし、信頼したい、自分という存在を知りたい、学びたい、成長したいと思っていると思います。

自分を癒していく上で大切なことは、この純粋な「成長したい」「より良くなりたい」が大人の自分のなかにもあること、それを大事に分けて持ってあげること。否定しないようにすることです。

誰もが、この純粋な「成長したい」を持っていると思います。植物がお日さまに向かって育つように、虫や鳥が巣をつくるように。

この場所を大切に守ってあげたい、育ててあげたい。そう思います

何十年もかけて刷り込まれた癖はすぐまた出てくると思うけど、それも含めて、まるごと、自分を見守ってやりたい、です。

残念ながら、ディフェンス(防衛反応)はなくならない。これを認めて、あきらめて、受け入れたら、意外と清々しいかも。自分を癒すこと、こちらで学んでいます。


裏庭におおきな木があって、赤い実がなっています。ここ最近ずっと気になっています。真っ赤な色の小さな実。あの実はただ、赤い。神様から授かった、そのものの色。本物の色。

私は何色だろう?育った環境や、思い込みや癖、世界観、「これが私」だと思っているもの、全部全部はずしたら。元の、おおもとの私は、どんな色だろう。どんな人間だろう。気が遠くなりながらも、それを知りたい、見てみたいという、祈りめいた好奇心を感じています。

純粋な「知りたい」だと思います。

私が私の為に見つけてあげたいなと思っています。

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