妊娠を願う私に娘が伝えたこと
不妊がわかってからは、西洋医学、東洋医学と先生と呼ばれる方を頼りながら自分の身体と心底向き合いました。食生活、運動、冷え対策。妊娠するために、医師の指導があるから安心、誰かに頼って大丈夫では無く、自分の身体なんだからがまずは自分が自分の身体を引き受け、努力をしないと、と強く思いました。
身体の体質を変えたく、早朝、子供の眠りが深い時間帯に1人ジョギングやウォーキングもしたものでした。整体師をしている義母より習ったポールウォーキング。スティックを2本持ってウォーキングすると運動量を増やしながら身体を整える事ができるトレーニングです。
それをしていた頃は、よく公園で一緒になってたおじいちゃんにある日 “あなたはスキーかなんかの国体選手かね?”と聞かれ「全く違います!!☺︎」と会話をし、おじいちゃんと大笑いをしたのを覚えています。
治療に関しては、医師からはタイミング療法の話は勿論、投薬による不妊治療の話も早くから勧められまいた。夫婦で沢山沢山話し合って、思い詰める時は泣いてしまう事もありましたが、私たちは不妊治療をしない事を選びました。
焦る気持ちもありましたが、ご縁と流れに任せようと。ご縁があって、ひとり授かっているんだからその命に感謝をして過ごしていこうと。主人はなにより、治療による私の身体の負担を考えてくれていました。
その上でも検査は全て受け、タイミング療法は長く続けました。私は生理が40日周期なので、通常の方が1年に12回チャンスがあるなら、私は9回しかなく、ちゃんと排卵してるのかも分からないし、毎月毎月に対する想いが強くなっていました。
生理が来る度に泣いてしまう。生理が遅れる度に基礎体温を確認し、期待をして妊娠検査薬を試してしまう。いつも陰性でお金だけ無くなる。それを繰り返す数ヶ月でした。
娘の口から伝えられたこと
卵管造影検査を受けた後は卵管の通りが良くなり、6ヶ月ほどは妊娠がしやすいゴールデンタイムと言われているそうでした。検査はとっても痛くて、私は検査後に気分が悪くなり倒れてしまいました。でもその分妊娠の期待はある!と気合が入っていたのですが、何ヶ月過ぎても妊娠はしませんでした。
妊娠と向き合う期間も長くなった頃でしたし、精神的にも疲れが出たこともあると思いますがその時はさすがにキツかった。この長いトンネルはいつまで続くの?いつまでいつまで…。
当時我が家は主人が0時を過ぎないと仕事から帰宅しな毎日だったため、夜も我が子と2人の生活。生理がきたその日は、娘と一緒にお風呂に入れず、浴槽の外から娘を世話しながら私はそばに付いていました。
娘がキャハキャハと笑いながら湯船で楽しそうに遊ぶ姿を見ていると “あ…また生理が来てしまった。ごめんね、またお姉ちゃんにしてあげれなかったね。本当にごめんね”そんな気持ちが自然と出てきて、表情は笑っていたのに目からはボロボロ涙が流れてしまいました。
するとそれに気が付いた娘が私をじーっと見つめながらこう言いました。
「ママ、赤ちゃん欲しいの?」
目がまん丸になるぐらいビックリしました。私の状況も知らないし、気持ちも知らない。2歳4ヶ月で日頃のおしゃべりはまだまだ言葉足らずの赤ちゃん言葉。でもその時、はっきりと会話をしました。その言葉を聞いた瞬間私は我慢していた悲しみを爆発させるように嗚咽して泣きました。
「そうなんよ。赤ちゃんが欲しいんだけど、また来てくれんかったー、お姉ちゃんになかなかしてあげれんね〜ごめんね」
泣き笑顔で伝えると娘は微笑みながらこう言いました。
「赤ちゃん来るよー大丈夫だよ〜」
次は目の玉が飛び出ました。まるで娘の口を使って誰かが喋っているようでした。その言葉を聞いてまた泣いてしまい、ありがとうありがとうって娘に伝えました。心がゆるむ不思議な体験でした。今でもこの時の思い出は私の心をゆるめてくれます。大切な記憶です😊
また書きますね☺︎
そして続き↓
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