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新年に思うこと...

「冬枯れの野に萌えいづる若緑」…岡潔先生直筆の色紙を掲載しようとしたが、写真のサイズが合わず断念した(T . T)
若い頃は、自分の思いが反故になるといちいちイラついていたが、まぁ、50年の長というのか、だんだん、あ、そう、そうなの...と受けとめられるようになった…そうならなくても差し支えないという鷹揚さが身について来たというか。 鉄道でもバスでもさほど時刻に狂いがない我が国に暮らして長いから、そのたったの数分が恐ろしいくらいの時間に感じられるが、騒いでみたところで許容するしかないのだから、さっさとアバウトさを身につけた者の勝ちなのだ…

さて、その若緑…岡潔先生は、世界の誰も解けなかった、多変数解析函数の命題をひとりで3つも解いてみせた天才数学者、当然ながら文化勲章を受賞して、物理の湯川数学の岡と並び称された。しかし、晩年に向かうにつれ、自然科学の矛盾、浅はかさに思い至り、数学を離れ日本の荒廃した戦後教育に喝を入れはじめると、その難解な言説から「岡は気がふれた」と闇に葬られた…                            その後、数学者岡潔思想研究会の横山賢治会長が、2度目に岡先生のお宅にご子息をお尋ねした際「この10年に訪ねてくれたのはあなたが2人目」といわれたほどだった。

わたしは、去年の夏に「素粒子と真情」と題した岡潔先生の1974年5月の講演録テキストを解説を交えて読み上げ配信させていただいた。その時期の先生の主張をはじめて公にした。すでに50年近くが経過しているから、その講演を直に聴いた方もほとんどいないのだろう、だからこそ、次の世代に繋がなければいけない…  岡潔先生は、その徹底した考察で比類なき分析、理論的考察で、わたしたちにまちがいのない真実を突きつけてくださる。一方、小学校4年生で算数に挫折して以来、およそ数学、物理と名のつくものを避けて生きてきたわたし。それが10年前、量子水と名付けられた「水」に携わるようになって、仕方なく、量子と関わるようになった。必要は発明の母とはいうが、理論で考えても適性がなく、仕方なく「量子を情緒でイメージする女」と自戒していたが、その後、図らずも岡潔先生に出逢って、情緒、情で捉えることが間違いではなかったのだ!と実感して人生に自信をとり戻した…

オセロの白黒が反転するのは一瞬で、同じような現象は誰でも人生でも何度か経験する。数学を避けてきたわたしが、大天才と邂逅して、その言説を解説させていただくなんて、ふしぎを通り越してあり得ないことのようにも感じる。あるいは、今どきの若者の方がスンナリと理解して、時代を変えていくのかも知れない。わたしたちを踏み台にして、どんどん先に進んで欲しいと思う。そのための踏み石になら成れそうなもしてくる。

若者よ、大志を抱けとクラークはいったらしいが、昭和時代の矯正された思考に属さない現代の若者よ凌駕し前に進んでください✨
写メは、自宅徒歩1分の歩道橋、いつものビューポイントからの初日の出㊗️


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