しみじみ、そこはかとなく…不意に去来する感情は、言葉では表せない、
しかし、確かに存在する感覚です。
では、その湧き出でてくる源は何処なのか?
その視点に立った時、わたしたちをわたしたちならしめている源がこころ
の奥深くに在るような気がして来ます。
しかし、言葉でいい表そうとすると出来ない、何か不確かな、つかめない
もの…一面只ひとつ、多面個々別々に見える大海のような意識の源です。
ルネ デカルトは、疑いを除いて除いたその先の理性で論理的に考察すべ
きといいました。玉ねぎの皮をむき、実を一枚ずつはかした先に残ったも
のは何だったのでしょうか?
もし、客観性がないとすれば、疑いは、あくまで自分自身の理性から発す
るものに過ぎないことがわかります。
角度を変えてみても結果は変わりません。
ものごとの本質は、主体と客体を反転させてみてもちがいがないはずです。
ちがいがないからこそ真理で、万物を統べる法則性にもとづいています。
太陽は東から登り西に沈みますが、何故かと問われても答えられるひとはい
ません。しかし、それは、歴然とした事実なのです。
わたしたちが見上げる反対側から、お月様は、何を見ているのでしょう?
たぶん、擬人化しない、ただ、あるがままに、天の運行に従っておられる
のではないかと想像しています…