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意識と時間③

わたしたちは、3次元に生きているので、空間認識があり、+時間で4次元の思考をしている。なので、時間と空間はコインの裏表と喩えられることが多い。何となくわかるが、受けとる意味にはちがいがあるだろう。そりゃそう、わたしたちは各自の認識でみずからの世界をつくりだしているのだから…
仏教の唯識では、意識は階層になっていて逆ピラミッド式に1つ上から俯瞰するイメージで表され、3からは二元、二極でしかものを見ない。おまけに、連続した時間を感じているのも自分の意識で、365日24時間ぐるぐるまわる人工的なカレンダーや世界標準時は便宜上つくられたものにすぎない。この五感に振りまわされる自我は、大脳前頭葉を棲家にしている顕在意識で、その上に感情と意識のベールに隔てられた潜在意識があり、そこは上に進むに従って、シンクロニシティのプール(阿頼耶識、集合的無意識)を超えて越えて、時間のない、不可知の静寂に続いていく。時間がないのは、自我や記憶に左右されない無差別智の場だから意図や恣意をさし挟めないし、定量数値化もできない。前に説明した春がくれば天然自然に花が咲く、そして、それを見ればわたしたちもうれしいと思う、その無自我のパッとわかる認識、俳句の世界観。この観念、概念は、頭頂葉のはたらきだから自我とはちがう意識、↑のプールはここにダウンロードされる。仏教で説明されるのはここまで、でも、まだ、続きがある。

見えない意識を説明しようとすると、しりとり遊びみたいになる。わたしが、論理的思考が苦手なのもあるが、言葉で表すこと自体に制限もある。まぁしかし、日本人相手ならいくらか伝わる(^O^)v…しかし、その認識スタイルではハッキリ頭で理解したことにはならないから、西洋人、東洋人、最近生まれの変型日本人と共有するのは難しい。だから、日本人は曖昧といわれてしまう。虫の声も聴き分けられないお前たちにいわれる筋合いはない!といいたいが、波風を立ててもなんなのでそっとしておく。わかるひとだけわかればいい。

例えば、九州に住んでいて、東京に出かけると、おひさまの投げる陽の傾きや空気感で、アレ?体感する時刻感覚が1時間くらい早いなとパッとわかる。時計を見ると、確かに16時→15時に感じる。レレレ、緯度がちがうからかぁ、と合点がいく。つまり、時間をカウントしているのてはなくて、雰囲気的に状況がわかるのだ。同様に、英国に旅すれば8時間早く、NY.に行けば14時間遅いってのもすぐわかる。それで、時差ボケして、しばらく滞在すれば現地の時間にも馴染む。理解するのが前頭葉の相対的な認識、パッとわかるのが無差別智、理解とわかるのちがいがある。

くらげ🪼は、たぶん時間なんて感じていない。必要がないから。くらげの場合はお腹がすくというより、触覚が刺激や気配を察知したらシャッ、と捕まえて食べるって感じかも知れないし…
そういうわけで、くらげの生態観察と時間については、このくらいでお後がよろしいようで


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