人生いろいろ?
バラ🌹の品種って何千種類あるんだろう?
えぇ、コレもバラなの?と思うものもあるが、葉っぱを見ると、なるほど確かにバラだと納得する。わたしは性格的に、いわゆる観賞用のものより野原に自然のままに咲いているものの方がいいと思うタイプ。そうね、つくられた美というのが苦手なので化粧もほとんどしない、興味がない。おばさんなのにごめんあそばせ。この美意識には個人差の他に民族差、地域差、つまり、文化や精神性のちがいがある、と思う。第六十二回伊勢神宮遷宮奉仕で、お白石持ち行事に参加して、新装なる正殿の神域で目のあたりにしたのは、限りなく余計なものを廃したシンプルさが美の極み。ニュースで時折り垣間見る御所の装飾などもそうお見受けするし、それがそもそも受け継がれてきた日本の美なのだと感じている。もちろん好みはひとの数だけあるし、勝手にコレがいちばんと決めつけるわけにはいかないが、よけいなものは余計だろう、とも思う。そういう意味では、ひとそれぞれの人生も、いろいろあるようで実はそうでもなく、この余計なものを削ぎ落としていく作業こそが最終的な目的なのではないのか?
若い頃は、見聞を広げて、いろいろ所有もしてみて、ほんとうに大切なものは何かを取捨選択して、ホントに必要なものなんてそんなにない、と知ること。そんな気がするね。
番組配信で、ミネハハとトークしていて「歌うこと(好きなこと)が仕事になってて、やりたいことだけやってきた、子どもみたいな幸せな人生」と、彼女はいっているが、コレはいい、幸せを絵に描いたようなと形容されるだろう。しかし、現実問題として、コンサート活動を続けるのも小さな事務所を機能させるのも簡単ではないしね、子どもでいられない場面だってあるだろうから、概ね、そのこころもちでいられる、または、(そのままで)いようとできていることが尊い。ほんとうに、何にも左右されないで100%気の向くままというのは資本主義の世の中では成り立たないが、それには翻弄されないゾ、という。
ミネハハなら、華やかな大輪のバラでも負けない輝き✨があるが、わたしには役不足で、もっとちがう、その辺の野バラの方が本人的にもすんなりする。似合わないものはかた苦しいし、そういう意味では人生も好みもひとそれぞれではあるが、まぁ、それは、あくまで見えている部分の、ほんの表面の現象にすぎないと思っている。