なんでそうなるの
この1週間で、連鎖反応的に起きたことが、みなさんのヒントになるかもなぁ、と思われる( ̄ー ̄)ニヤリ…わたしは常々、noteで無為自然的に生きようといっているわけだが、そうするとどうなるか、何故そうなるのかの見本を。
はじまりは、連休明けに温泉でも行こうかなと思って、源泉かけ流し半露天夕食付きおひとり様OKの条件でかなりの長時間ググッてみたのだが、帯に短しでいまひとつ決定打に欠けたため保留にした。そして、翌日、公的手続きに想定外の費用が32,000~38,000円かかると判明して、えぇ、温泉宿代と同額かぁって意気消沈して温泉どころではなくなってしまう。しかしね、手続きはしないわけにはいかないし、ここは落胆せずにね、とすぐにリカバリした。すると、翌る日の早朝、契約相手から金額の増額申し出があり、暗算すると増えた分の利益がちょうど38,000円。えぇ、これで三方丸く収まるよぉ、とほくそ笑んで、また温泉をググッていたのだが、翌午前中、知人に確認の電話を入れたところが、「あーちょうどよかった、今、一緒に温泉に行くはずのひとが骨折してNGに、あなた空いてるなら招待するわよ、キャンセル料払うより」というではないか…そんな急な展開のおかげで、夕陽の見える温泉へと向かうことに、めでたしめでたし。
世間の多くのひとは、これらを単なる偶然の重なりと片づけてしまう。よくてラッキーくらいにしか響かない。実は、冷静に考えてみると、これらの出来ごとのひとつひとつはバラバラに起きていて、AがBの原因になっているわけではない。だから、直接引き寄せるのではない。しかも、わたしが意図したのは、はじめの温泉にでも行こうかなぁ、と意気消沈しないでの2つだけ…スイッチとギアチェンジ。プラス思考でも引き寄せでもなく、フィールドの最適性に任せるといえばいいだろうか。勝手に起こる、自然なフローに流されて生きているとこうなる。途中でイラッとしたり嘆いたり欲を出したり、感情を波立たせないこと。よけいな恣意が最適性の障害となってしまいかねない。
じゃ、なんでそうなるのかというと、思い言葉行動の、ヒトが発したすべてのエネルギーは、見えないフィールドで刻一刻、お互いに共鳴したり干渉したりしているから。宇宙には影響し合わないものは何ひとつないし、そのフィールドは幾重にもいくらでも存在する。バラバラの別々のプレイヤーは相関して、一体全体で個々一元なんていったりする。だから、フィールドの他の存在を脅かすのは当然NGで、言葉や態度に表さなくても、頭の中でひとを嫌う憎む恨む侮るのでさえよくないと説かれるのがそのゆえん。
さて、そうやって流れに従ってみると、半信半疑を超えて、すっかり信じられるにはいくらか年季がいる。まして、百発百中は難しい。きっと!と願った途端に「我」が出てしまうから、うっすらそうなったらいいなぁ、ダメでもかまわないよ、みんなの都合もあるもんねぇくらいの状態を保つのがいい。主導権はこちらにはない、タイミングもはかれない。自動的に起きてくる全体性に委ねるからこそ最適性が現れてくる。安心して任せていられるかの問題。
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