星空に想うこと...✨
屋久島で満月と満天の星々を見放題から戻って翌日がふたご座流星群極大、今月25日は2回目の惑星直列とイベントめじろおし、庭木にみかん🍊を1/2に切って刺してくれた母も鬼籍に入ってもう5年目になるから、めじろもとんと見かけなくなってしまった…
担当する番組で、いつも嬉々として満月だの新月だのしゃべっているが、本気で聴いてくれるひとは何人もいないだろう。何をそんなに騒いでいるのかと思われるのが関の山、まぁ、同意を求めているわけでもなく、公共の電波で自分の趣味趣向を語っているだけだが、何でそんなことをしているかというと、それが、わたしの生活の背景のようなものだから、と伝えているつもり…
「宇宙のすべてのものは、光と波のエネルギーで、同じ元素からつくられているから同根ともいえる」くり返しくり返しそう語っているから、嫌になったひとはもう聴いていないだろうからそれでいいじゃないか(^^)そもそも、ラジオの電波も同じ周波数のものが共鳴して受信できるしくみなわけだから、異なるものは相容れない。ま、リスナーあってのものではあるが仕方がない。
昴という星がある、スバルと書くと外国語に聞こえるが星の和名で、プレアデス星団のこと。昴は統べる(すべる)が元で、集まる、結ぶ、束ねるなどの意味になる。宇宙を統べる根源の意識、というように番組でも度々使うこの統べるだが、わたしは、いわゆるスピなひとではない、むしろ、芯のない浮草みたいなふわふわスピな奴らは苦手で、できるなら一線を画したいと思っている。じゃぁ、お前の何処に芯があるのかと問われそうだけれど、りんごでも梨でも、パッと見て外から芯は見えない、しかし、りんごには何処から見てもりんご🍎でしょうと納得させる風情があり、梨には梨のなしたる所以があるはず、と思う。
岡潔先生は、松を松とわかり竹を竹と思うのは、理解ではなく、その趣を感じるからわかるのだ、そんな分かり方こそがこころの奥深くにある「情」のなすところだ、と教えてくださっている。
宇宙の星々が、地球を離れた遠い空間にあり、わたしたちとは、あまり関わりを持たない存在だと思えば、同じ元素から出来ていたって関係性はごく薄く、月が満ちようと欠けようと自分とは関係ないと感じるだろう。わたしたちは、ひとりひとり違う世界を認識して生きているから、それはそのひとの自由といえる。漢字の日に選ばれる、今年の漢字2022は「戦」だったらしい、2位が「安」3位が「楽」、社会をどう見ているか、何を願っているのかが伺える気がするが、いちばん大切なのは、自分がいついかなる時、状況下にあってもどう生きていくのか?に尽きる気がする。つまり、80年を越える人生で、こと大人になってから常に問われているのはこのことだろう。ひと様からではなく、自分自身から、という意味で…いつも、自分の脳やからだの外から自分を見下ろしているもうひとりの自分がいるような気がするのは、わたしたちの本体は、この肉体に閉じ込められた物理的な生き物ではないことを示している。魂は時間にも空間にも拘束されない。宇宙の果てまでも響き合いつながっている統べられた意識そのものので、ほんとうはひとつのものなのだろう。