恒常性か惰性か
前回、おうち湯治チャレンジについて書いた。湯治のイメージは、入浴回数をかせぎのんびりダラダラしている…になろうが、医学的には、一定期間くり返し体温を上げて、それを習慣→恒常化させたいねらいがあるらしい。へぇ、そうだったんだと感心してしまう。自律神経系にダイレクトに作用するから、はじめは、就寝時に熱って寝付けなかったりもするから、昼間でもダラダラして、昼寝したっていいよ、という環境、状況にする必要があるのだと連想する。日頃から、シャカリキにはたらいている人種には、なかなか実行できないだろうが、逆にいえばその生活様式がこころとからだの不調をまねいた元凶なわけだよね。交感神経優位って、ライオンが物陰から獲物を狙っているのと同じだから、それがずーっと続くのは消耗を絵に描くようなもの。しかし、走り出したライオンも車もそうそう止められないし、仕事には期限もあるし納期に追われるし、アレレと気づくのは、もうからだがメタメタになった後という現実もある。体温を一度上げると免疫は30%向上するというし、癌細胞は39℃以上で死滅する傾向があるのだから、36.5℃以上の体温を保つのがいいとは知りつつも、環境や状態を変えるのは難しい。だからこそ転地療養の如くに、電話が鳴らない、知ってるひとは誰もいない湯治場に出かけたのだろうが、今では、いつでもスマホが鳴るし24時間LINEがくる。
昔は、著名な作家センセイが、電話機を冷蔵庫に閉じ込めたという笑い話があったくらいだから、目の前の作業に集中するには、他と隔絶して音信不通にする必要もあるが、その期間が終われば、こころとからだを解放しなければ壊れてしまう。そういうわけで、避暑地の温泉に逗留して執筆するという展開になっていたのだろう。ノスタルジー的に憧れるが、物理的にではなく精神状態としてそうあればいいってことだから、週末おうち湯治風でもいいっちゃ良い。
そして、たまの温泉滞在やおうち湯治のついでに、無用な電話が鳴らない状況をつくるこころがけも必要かと考えて、アドレス帳からは消さないが、こっちからわざわざ連絡する必要のない人物とは、思い切っていったん疎遠にしてしまう。用事ができればその時は復活すればいいのだしね、と緩く考えてみる。対人関係のオートファジー*。すると、けっこう何もしなくていい時間が現れ増えてきて、やややと戸惑ってしまう。さらには、そのやたらに戸惑ってる自分に困惑する。情けないくらいに、自分がじぶんを枠にはめて、そんなに必要もないのでも、惰性的にやるべきリストを棚卸しもしないで継続させたまま、あるいは律儀に実行していたらしいと気づく。ラジオの周波数のように通じないものは響かない。ほんとうに、宇宙のシステムはシンプルなんだなぁ、と実感する。すると、トラウマのような精神的なブロックと表現されることも、実際にはエネルギーの壁というよりは惰性の周波数の無調整(で、雑音だらけ)みたいなものとも思えてくる。壁なんてないんだよね。常態化させているのは自分の意識なんだから、そう思えたら明るく楽しく過ごせるだろうか。
*オートファジー
食後14-16時間摂食しないと、自動的に壊れたり不要になったりした細胞を再利用してタンパク質を合成するスイッチがONになるしくみ。
こちらもぜひ聴いてみてください。
stand FM番組配信「声の玉手箱」周波数(色)