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やさしい音を奏でるひと
陽だまりに咲く菜の花を見て、おひたしにいいかなぁ、と思うのはわたしくらいだろう。春はまだ少し先だが、そちこちに気配を感じる。
きのう、書き忘れたフレーズがあったので、しつこく書く。もうずいぶんご無沙汰していて、もしかしたらもういないかも、なんて不謹慎にも思うのだが、わたしが18くらいから55までずーっとお世話になっていた方で、手先がとても器用で、植物にも機械類にも子どもに対してでも気遣いの細やかなやさしいひとがいた。壊れかけたモノを持ち込むと、丁寧に分解しては、辛抱強くまた元に戻してくれて、大抵のものはリカバリした。まぁ、わたしの場合は、ほんとうに壊れていたわけではなくて、ぞんざいに扱うから機嫌を損ねて止まっていただけなのかも知れなかったが。母が亡くなって、仕事の拠点もここへ移ったせいで毎日外を出歩かなくなったのと、ちょうど時期を同じくして、その方も35年続けていたお商売をお得意様のみを回るスタイルに変えて、経費節減も兼ねて店を畳んでしまったから、接点がなくなってしまった。その店では、大きく育ったベンジャミンの木から花が咲いたり、アボカドの種から芽が出てグングン背丈を超えるくらいに伸びたりして、みんなを驚かせ、わたしにはとてもマネできないなぁといつも感心した。植物だってネコだってちゃんと世話してくれるひとに懐く。
さて、そのやさしいひとだが、音楽家はどうだろう。わたしが、やさしく深い温かみのある音にいつも感嘆するのが、おととし99歳で天に召されたメナヘム・プレスラー氏。わたしの好きなドビュッシー「月の光」を弾かせたら右に出るものはいない、いっぺんでファンになった。若くして受賞歴もあり、トリオで長く演奏活動をして著名だった方が、かなりの高齢でソロデビューなさった。うかつにもほんの数年前に存在を知ったから、生演奏を聴く機会はなかったが、ありがたいことに残された動画でも笑顔や立ち居振る舞いからやさしさを如実に感じることができる。圧倒的な存在感なのにどこまでもやさしい。何も語らなくても表情を見れば伝わるし、音を聴けばわかる。ふしぎなのは、はじめて聴く曲なのに、次に飛ばさないで大人しく聴いていられること。CDを購入する時は、大抵お目当ての曲があって、ついくり返してそれを聴いてしまうが、知らない曲に移ってもそのままじっと聴いてしまう。こんなのははじめてだ。彼は作曲家の思惑=楽譜を忠実に再現するのを第一にしたと伝わるが、自分流のアレンジとか、有り余る力量にこだわらず謙虚に忠実に音に向き合う姿勢が素人にもわかるのだろう。すごいな、たぶん、99歳まで生きたからといって誰でもたどりつける境地ではない、凄すぎる。
音は波動そのもの。目をつぶっていても木枯らしと春一番の音のちがいを聴き分けられる。爆発音や金切り声は不快だし、どすの利いた声は怖い。お母さんの声がやさしいなら、その時、怒りとは無縁だろう。見なくても分かる。ネコは、心地いいと喉をゴロゴロ振るわせるし、ヒトには聞こえないサイレントニャーで鳴くこともある。お互い知らないうちに影響を与え合うから、努めてやさしい音を出そう。