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意識の「場」って何?

 もう少し冬が近づいたら小さな薪ストーブに火を入れます🔥
「白い灰がちになりてわろし」といったのは、清少納言ですが、炎❤️‍🔥を見ているこころが和みます。下から上へ積み上げられた木片が、炎になる。小さいから意味がないわけではなくて、下から上へ⤴️燃え上がるには、ひとつとして木屑が欠けては成り立たない一体性があるのだなぁ、としみじみします。

場の空気、雰囲気といいます。
目に見えない、境もない、区別もないのに、何かちがいを感じる。言葉には表せないが、何かちがう…
意識の階層には壁がないから、エレベーターのように、チン🛎と鳴って、ここは何階ですとドアが勝手に開いたりはしませんし、すべては同じ場所にある。変わるのは意識だけ。

すべてのものは、分解して分解して、小さくなると素粒子が最小単位になりますが、例えば、電子は、わたしたちのからだをつくるいちばんポピュラーな素粒子で、100年前は、波でもあり粒でもあると形容されていました。しかし、ほんとうは、粒なんかではなくて、あくまでもすべては波で、その波動が伝わる場に存在するエネルギーを電子で表すと1つ2つ、と倍数を飛び飛びにとつてゆくのだそうです。(これ以上は説明できません(T . T))

だから、上の(マトリョーシカの外側の)階層に飛び移るには、より微細なエネルギーの波動を必要とするのかも知れませんね。つながっていても入れない。どっちが優れているかというような尺度ではありませんが、レベルのちがいみたいなものはある。そう、場ちがい、という言葉があるように、波動=周波数がちがうもの同士は相容れないのです。
そして、その場は、質量も時間も関係ないなら、空間でもない。
見た目は、何処にもないけど、いつもある。同じ種類の素粒子の場ならどこまででも波が伝わって、つながっている、どんなに遠く離れていても永遠にですね。

 意識の場で、ほら、念だってエネルギーのようなものに喩えますし、同じ場では波が伝播するから、ひとを呪えば穴2つ、ってとこになってしまいますよ。逆に、誰かの無事を願えば、奇跡のようなことが起こりもするし、何故、どうして、誰にもわからないから、わからない理屈をふしぎ、不可思議と形容します。

そして、その意識の状態を常にkeepしておくのは、かなり難しいはず。
脳波に象徴されるその波は、五感からの刺激を受けて、すぐに変化してしまいますから。「場」をとるには、似たものと同調できる周波数にいつでも合わせられるかを問われていて、それができれば、わざわざ瞑想したり、座禅を組んだりしなくてもいいのでしょう…

それには、宇宙を統べる法則性がどうなのか、まず知る必要があると思われ、宇宙が生まれた時の、それを生み出そうとした意識がどうしたかったのかという「原因」を知らなければ、考えてみたところで理解できません。
理屈なく、偶然に存在し続けるものなどないわけですから、神はサイコロを振ったりしないのです。


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