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ろくでもない時代に

なんだかね、うかうか温泉につかれなくなろうとはねぇ(T . T)、10/1以降は、源泉かけ流しかつ貸切湯入替えでないと安心してくつろげないという、ぶぅぶぅ…
今年、桜の季節に、憧れの酸ヶ湯温泉で、千人風呂いちばんのり貸切状態を達成したのを思い出しつつ嘆くこの頃。
ふつうに生きていると、やたらと人工で何かしようというのは、臓器移植やAIも雨降らすとか含めて、そこまでしなくていいんじゃないと思えてくる。まして、不自然恣意的にそんなこと300年も前から考えてるやつらがいたなんて想像もだにしないしね、なんだかねを連発してしまう。政治家も大企業も、露骨にヘンなマネしてさぁ。子どもの頃から、50年以上もずーっと食べていたメーカーのチョコレートも、ほんとに残念だけど、もう2度と買わないから。

この、ろくでもないのろくは、六=水平という意味。だからガチャガチャになってバランスがとれない。今、インバウンドって外人が東北や京都や奈良やいろんなところへ、えぇ、こんなとこにも?ってくらい押し寄せて、ろくでもないことしたりして、郷にいれば郷に従えよ、お前ら!帰れ、と怒りたくなる。いや、わたしはいっそまた鎖国すればいいと思う。ほんとは、無尽蔵の資源もいろいろ発見されていて、技術力は圧倒的だし、日本が小さい島国っていうのも嘘だし…
しかしね、ものの見方はひとりひとりちがうなんてのを越えて、現実的にもひとの価値観に左右されないで生きる、誰か為政者のチカラの正義なんかとは無関係に自分の意志でと思ったら、これからは、お金もない電気も使えない素食でみたいなことになるんだろうかね。以前、露草は食べられると聞いて試しに、田舎のあぜ道で摘んだやつをおしたしにしてね、食えなきゃないけど平時はNo thank youと思ったけど、ま、ことと次第では、そういうのも深く研究する価値はある気もする。いやいやするのと、前向きに興味を持つのとは結果も異なるハズだからね。わたしは転んでもタダでは起きないから。

カルトみたいな宗教が多いから、みんな十羽ひとからげにしちゃうけど、外に見える現象もわたしたちのからだも、宇宙の法則→自然の摂理(新陳代謝)→完全調和(動的平衡)な訳だから、逆から仰ぎ見たら、最後に行き着く先は何処かってのを説いたのが昔のマトモな宗教で、古代中国では老荘思想(道教)、日本では古代神道、〜道に至るって書く。日本は直接的に「神」と書くんだよ。何故か、確かにそこにいるってわかっていたから。アミニズム(自然崇拝)とはちがう。教義がないんじゃなくて、ソレを大脳前頭葉で考えても理解できないから。古代とわざわざつけたのは、廃れて枝葉末節になってしまって、御朱印、パワースポットとかいっちゃって、お前らこそくるなよ、と思うけど。
じゃ、それは何処にあるかだけど、深く求めない→与えられない→勘違いし続ける→もっと不幸になって輪廻をくり返す。答えは自分自身で授からないと腑に落ちない。理解するのとわかるのは全然ちがう。わかったひとは、あまり語らないというか真髄は言葉にできないんだろうね。〜続く道を探さないとね!

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