新人賞の予選をはじめて通過して
「泊木俊太郎」という名義で、新潮新人賞の予選を通過した。
じつを言うと、中学生のときから書き始めて十一年目にしてようやく手にした、私の短い人生における少ない快挙のひとつである。
予選を通過したことは誇らしげに語るものじゃない。
それは受賞ではない。選ばれた、かもしれないが、同時に捨てられた、でもある。
と言いつつ、ちゃっかり個人noteのアカウントには「第56回新潮新人賞予選通過」と書いたけど。
それぐらい嬉しいものだ。喜んでいたいのだ。
しかし、じつのところ、
心臓を痛めながら毎日書いた今年の三ヶ月、三大欲求のどれをも失うほど追い詰めながら書いた今年の三ヶ月、その実りというべきものが予選通過できたのは幸として、
二次選考通過に、最終選考進出という作品たちが十数個あるのである。この事実は凄いと思う。だってあれだけ苦しみながら書いたものより選ばれる作品が確かにあるのだから。
苦しみながら書いたって巧さに比例するわけではない。
腕によりをかけたと自負する文筆者たちのよくある例に漏れず、このお話を応募するときは「最終候補、残ったな」と私も思った。数カ月はそのまま浮かれていて、七月になると落ち込んだ。最終候補に残ったという電話は来なかったのだ。
自負があっても作品の出来には関係しない。
でも、落ちたおかげで、そのふたつの事実を身をもって理解できたし、あれよりも豊かで面白い、新しいお話を書かねばとこころから思えたのも事実。
きっと、昔より謙虚になれたことも事実。
新しいお話は書き始めてからまだ完成していないけれど、苦しみながら書いて応募したあの自信作よりも、自分らしいものが作れているという実感は、いま、あるのだ。
いつかはあのときの自信作を、もっと上手になった未来の自分がより素晴らしいものに書き直す日が来るのを楽しみに、今日もねちねち、書いている。