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ちよだ文学賞最終候補に残って

 四月の応募作がちよだ文学賞の最終候補に残った。

 ありがたい年である。
 今年は、新潮新人賞の予選通過とちよだ文学賞の最終候補選出という結果を出すことができた。
 書くことを全力で考えるようになった年から去年まで、なんの成果もなかったけれど、ようやく芽が蕾になった、と言いたい気持ち。
 
 最終候補に残った本作。
 綿密な計画を立てて書いたのではなく、勢いで書いた――と言うとよくある「考えるよりも勢いが大事」系に偏るきらいがあるけれど、新潮新人賞を予選通過したお話は「勢いを保ちつつかなりかなり考えた」ものだったから、勢いばかりが大事、ともどうやら、言えないようで。

 ここに、応募した裏話と創作振り返りを書いていこう。
 まだ選考委員の講評は読んでおらず、メッタメタに切られていることはかなり予測できるけれど、最終候補に残った、という事実に浮かれたまま書き綴ることにする。

 ちよだ文学賞の応募理由は、賞金100万円と、応募時期がちょうど良かったこと。3月末〆切の新潮新人賞応募作を書き終えたタイミングで突貫工事、こちらをすぐに書き始めた。構想を考えることから始めたので、こども食堂、というテーマが降りるまで一週間ほどかかった。

 あとから審査員が直木賞作家の錚々たるメンツであることを知り、書きながらエンタメ風になるように心がけた。それが良かったのかも知れない。私は力んで書くとなぜか――いまは多少対処できているが、この時期はまだできなかった――精神的にシリアスな内容を書いてしまう。えげつないことを書くのが根っから好きなのである。
 えげつない趣味、を読みやすく薄めたものが、文芸サークル行街で投稿した「ここは秘密の園」シリーズになるかもしれない。

 ひとが精神的にどん底まで追い詰められるお話って、読むのはキツイけど書くの楽しいじゃん?(聞いても返事はない)
 最近では楽しいとすら思わず、デフォルトで書いている感じもする。それ、人間としてちょっと怖い。

 さて、本作はこども食堂を運営する中年オヤジが、ゲートキーパー的な立場に立ったとき、どうやって子どもを守れるかがテーマになっている。

 それは社会的に意義があるテーマだ。
 と思う前に、そのテーマを書くことが自分の癒やしになると実感していたのだった。小学生ぐらいの子どもを守りたいという気持ち。ニュースを見れば、きょうだい児、ヤングケアラー、ネグレクト……と、あまりに背負うには辛すぎる問題を抱えている子が多い。
 子どもの問題が気になるのは、昔、小学校教師を務めていた経験もあるだろう。
 下記リンクの「さよならの向こう側」は、そこのところをエッセイ風にして書いた。私自身、出来の良いエッセイと自負しているので(なんと、無料公開!!)よければ読んでもらえたら嬉しい。

 社会的なテーマを書くことこそ受賞作が選ばれる理由だと考える自分は、これまで純文学の新人賞に応募してきた以上、頭の中に生きているけれど、そういうテーマばかりを考え、人間をないがしろにし、思考実験的な作品になったものは、個人的に、ほんとうにつまらない。アマチュアのものでもプロのものでも同じ。これまでの自作の反省。

 小説は「もの語」でなくてはならん。者、物、あらゆるもの……

 やっぱり、選ばれるためにと考えるよりも、いかに面白いかを考えたほうが楽しいし、そうして生き生きとした生命力が文章に注ぎ込まれ、読み手にとって魂を揺さぶられる体験を提供できるんじゃないか。
 それを「勢い」と呼ぶこともできる。
 この一年で考えるに至った(遅い!!)私の持論。
 自分のお話に今年初めていろんなひとから感想をもらう経験をして、読み手が面白いと思うことを突き詰めたいと思った――頭が面白いと思うのか、こころが面白いと思うのか、どちらも楽しめるものなのか、お話を書きながら考えていくことこそ、いまの私の情熱を掻き立てる、と。

 もちろん、私自身が書いていて面白くなければ意味はない。

 いまから、来年の予定を考えている。来年は今年と違ったことをしたい。そうでなければ成長はないのだ。
 今年目立てたからって来年は同じように目立てるとは限らない。
 来年も、目立ちたい。


(今年の12月、文学フリマ東京で文芸誌「行街」が出店します。いま書き進めている私たちの新作を一冊にして。
 私もそこにいるので、ぜひお喋りしましょう!)

 

 

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