不器用な私と不器用な文章と。

上手い事言葉に出来ず、読む専用にしていたnoteを勇気を出して紡ごうと思った。

私は、不器用だ。

行動や生き方も勿論だが、私が心底痛感している不器用な要因が「上手く話す事が出来ない」事だ。

これまでも、それで散々と色々な人に誤解されたりしてきた。

コミュ障といえば確かにそうだが、私の中ではその言葉では収まりきれない物を抱えて生きてきた。

言葉を発する(文章化する時含め)時、相手の顔を伺うといったスーパーハイテク繊細メンタルが相乗して尚のこと伝えられないのだ。

これが厄介。

「私は辛い」(或いはそれ以上の言葉)

これを伝えようとするとさあ大変。
私の心の中で脳内フル稼働する。

“相手が私の立場だったら困るよな”
“構って欲しい人に思われるよな”

↑ざっくりそんな事がよぎり伝えられない。

これを幼少期から思いすぎた結果が今に至る。

そして今この文書を書いているのも、先ほどまで上記理由で家族と不穏な状態になったからだ。

そんな私は私を好きになれなかった。
ずっと自分を責め続けていた。

自分を愛してあげようよ
…と頭では分かっているけど、どうしようもない時が何度も何度もあって。

そんな時にそんな私を、無性の愛で声かけしてもらえた。

そんな私でも、なんだか手を差し伸べてもらえたような気になった。

ありがとう。

不器用な私はきっとこの先も変わらないのかもしれないが、少しずつここで心のうちを紡ぐ事で、そんな自分を見つめていきたい。

見つめて自分で受け止めていけるように
そっとここに記すことにした。

読んで下さった皆様(いるのかな…?)
こんな拙い私の心の叫びを読んでいただき
ありがとうございます。

スーパー不定期更新で、ここでは「素直な私」を記していきたいです。

では、ありがとうございました。

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