文字だけの君 第十二夜 〜閉店までここで待つ。逢えない君〜
その日、かなえはオフィスで上司の植木に有給休暇を求めていた。
「え?有給?」
「はい、どうしても外せない用事ができまして…」
「まぁ、その日なら…いいよ。金曜日だろ?」
「ホントですか!」
「中条さんにしては、急に珍しいね」
「まぁ…はい」
かなえと植木のやり取りを見ていた美智子が、早速かなえのもとへとやって来た。
「先輩、もしかしてまたお見合いですか?」
「えっ、違うよ」
「先輩に婚活以外の用事があるんですか!」
「えっ?そりゃ…何かしらはあるでしょ…」
わたしは、婚活以外の用事がない人間だと思われているのか。
後輩の発言にまたイライラさせられた。
かなえが家に帰るとスマートフォンに一通のメールが届いた。
メールを開く。
『こんばんは、金曜日の夜、食事にでも行きませんか?』
それは、大河原からの食事の誘いだった。
「何で金曜日の夜なのよ!」
どうやら一瞬で、大河原さんにイラッとしてしまった。
よりによって金曜日のお誘い。
何故どいつもこいつも金曜日を狙って来るのだろうか。
なんて返信しよう…
× × ×
シオン「変身!」
× × ×
違う、違う!
頭の中で、改造人間シオンが変身してしまった。
鋤柄さんは、あのノートになんて返信してくれるんだろう。
金曜日に来てくれるのだろうか…
× × ×
アルマ「変身!」
× × ×
違う、違う。あーもー!
頭の中で、彼女のアルマも変身してしまった。
ちゃんと、返信しないと。
そして、その日はやって来た。
奇妙なラーメン屋は、今日も変わらず同じ場所に存在していた。
金曜日の夕方、かなえの姿は、すでにラーメン屋『ことだま』にあった。
店内には一台のテレビがあり、テレビの横には一冊のノートとボールペンが置かれていた。
奥では店主らしき人物が麺を湯切りしている手が見える。
かなえは、券売機で醤油ラーメンのボタンを押す。食券を厨房のカウンターへと出した。
食券を出すなり、顔が見えない店主からすぐに醤油ラーメンが出てきた。
かなえは、お決まりのテレビの横の席に座った。
ついにわたしは、開店と同時にお店に来てしまった…。
これなら鋤柄さんを見逃すことはないはずだ。
そう、そのための有給休暇だったのだ。
テレビの横にある古くぼろいノート。その横にはボールペンがひとつ。
かなえは、ノートを手に取り、すぐに開いた。
!!!
書いてない…!!!
いつも来た時、必ず返事が書かれている。
なのに、なのに今日は返事がない。
嘘でしょ…
鋤柄さん、そんなの嘘でしょ!!
“一緒に見ませんか?”なんて書いたからなのか。
いや、あれからこのお店に来れてなくて、このノートをまだ見てないだけかもしれない!
いやちょっと待て、それはそれで問題だ。
そしたら今日、ここに来ないじゃないか。
いや、約束をしていなくても来る可能性はある。
ずっと来れてないなら、より来る確率は上がっているはずだ!
店の戸が開き、男性客が入って来た。
鋤柄さん!?
思わず振り返り、かなえは入って来た男性客を見た。
男性客は、かなえに目もくれず券売機でラーメンを買っている。
券売機で押したボタンも、どうやら鋤柄が好きな塩ラーメンでもなさそうだ。
違うか…。
いや、違うかどうかも分からないじゃないか!
鋤柄さんはわたしの顔を知らない!
え!?わたしも、知らない…!
これは名札が必要だった?
会社のやつでも持ってくればよかったのかな。
鋤柄さんの分も用意して、このノートにあらかじめ挟んどけばよかったとか?
それを付けて鋤柄さん登場!みたいな!?
いや、鋤柄さんって、そもそも仮の名じゃん。
わたし、本当の名前も知らない…
いやいや、そもそもあれからノートを開いてない可能性もあるんだった。
「ヤバイ麺が!」
伸びた麺に気付き、かなえは冷静さを取り戻すためにラーメンを食べ始めた。
再び店の戸が開き、男性客が入って来た。
鋤柄さん!?
かなえは入って来た男性客を見た。
男性客は、かなえに目もくれず券売機でラーメンを買っている。
また鋤柄ではないようだ。
かなえは、券売機で替え玉のボタンを押した。
おかわりは初めてだった。
再び店の戸が開き、男性客が入って来た。
今度こそ、鋤柄さん!?
かなえは入って来た男性客を見た。
男性客は、かなえに目もくれず券売機でラーメンを買っている。
どうやらまた、鋤柄ではないようだ。
かなえはテレビの横の席で“鋤柄直樹(仮)”を待ち続けた。
しかし、鋤柄らしき人物は、一向に現れない。
来てくれないのだろうか。
客はラーメンを食べたらすぐに帰っていく。
もうすぐドラマが始まってしまうというのに。
わたしはこの事態を予想してなかったのだろうか。
でも、ノートに“文字”が何も書かれない日が来ることは考えていなかったのかもしれない。
いつもここに来ると、必ず鋤柄さんからの“文字”が刻まれていて、それがいつしか当たり前になっていた。
続きの“文字”が書かれていないだけで、こんなにもショックを受けている自分にも動揺している。
時だけが流れていった。
もしかして、今まで来た中に、鋤柄さんはいたとか?
まさか、この席に座っているわたしを見て、帰ってしまったとか?
この席が埋まっていたから、別の席で食べていた?
しまった!なら、この席は空けておくべきだった。
そしたら、この席に来た人が鋤柄さんで、わたしは鋤柄さんに会えたのか!?
いやでも、たまたまこの席に座る人だっているだろう。
ノートを手に取って、“文字”を書いてくれなければ、鋤柄さんである確証は得られない。
テレビでは、金曜ドラマ『その感情に名前をつけたなら』が始まった。
× × ×
アルマの本当の姿を受け入れられない、改造人間シオン。
アルマ「わたしの住む世界には愛はないの。生まれた時から配偶者だって決まってる。誰かのために生きるなんてありえないの。だから、知りたかった。人を愛するって感情を」
エモーション「そう、我々は君を実験する個体として扱っていたのだ」
シオン「そんな…そんなの嘘だ!」
エモーション「今目の前に起きてる出来事をご覧になってもかい?」
シオン「…」
アルマ「でもあなたは、わたしの事なんて愛してなかった。作られたわたしの外見を愛していた。違う?あなたの方がよっぽど化け物よ」
シオン「確かに俺はアルマの外見を好きだったかもしれない…」
アルマ「そりゃそうよ!あなたの好みに合わせて作られてるんだから!」
シオン「そ、それは…その…あの…でも、それだけじゃないんだ!人間はそれだけじゃないんだ!」
アルマ「まったく、男って。言い訳ばっかり」
シオン「けど、これはさすがに種が違うじゃないか!これは特殊なタイプの結婚詐欺なのか?もう俺は人間に戻れないじゃないか!」
泣き崩れるシオン。
エモーション「如何だったかな、シオン君。まぁ君も、このままでは生きづらいだろう。いっそのこと、片付けて差し上げるよ。全てが消えた方が幸せだろう?」
エモーションはシオンを攻撃する。
アルマがシオンをかばい、攻撃をまともに受ける。
エモーション「!」
シオン「アルマ!」
倒れているアルマ。駆け寄るシオン。
シオン「何でだよ!何で俺なんかを助けるんだよ!」
アルマ「何で…かな。わたしね、いろんな感情を持つあなたが羨ましかった…」
シオン「アルマ……」
アルマ「死ぬ前に海が見たい…。あと、カニが食べたい、ウニも食べたい…」
シオン「磯が強いな…」
アルマ「モーグルもしたい」
シオン「オリンピックを目指すのか?」
アルマ「あと、ヤンバルテナガコガネが見たい」
シオン「もう特殊すぎる。欲が多すぎる」
アルマ「あなたに出会えてよかった」
意識を失うアルマ。
シオン「アルマーー!」
ナレーション「しかし、そもそも怪人は死なないのだ!」
『完』
× × ×
「すごくいい…」
かなえは一人、店で号泣していた。
閉店までいたが、結局、鋤柄さんには会えなかった。
向こうは、わたしに気が付いていた?
顔を見て、声をかけるのをやめた?
おばさんだなって思った?
いや、鋤柄さんはそんな見た目で人を判断するようなタイプじゃない。
見た目を愛していたのは、あくまでもドラマの中のお話。
鋤柄さんは、もっとシャイで、だから声をかけられなくて…。
あんな優しい人が、わたしを無視するはずがない…
一体わたしは、この有給休暇を何に使っているのだろう。
わたしは、あなたの顔も、声も、名前も、歳も…考えれば、何も知らなかった。
こんなにも、探しているのに…
怪人アルマは、“いろんな感情を持つあなたが羨ましかった”と言った。
人間は、感情に名前をつけている。
嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい、寂しい…
目に見えない感情に名前があるのもなんだか不思議だ。
けど、名前の分からない感情も沢山ある。
自分でも理解できない、分からない感情だってある。
怪人のように、生まれた時から配偶者が決まっている世界だったら、人間はどのように過ごしているのだろうか。
無駄な恋愛をする手間が省ける。これは効率がいいのかもしれない。
でも何故かそれは残酷な気がする。
わたしはやっぱり、自由恋愛がいい。
お見合いとか、合コンとか、婚活パーティーとか、誰かさんの紹介とか。
全部、何もかもが嫌だ!!
でも、良い人は永遠にただの良い人で、それは好きとは違う気がする。
わたしだって知りたい。人を愛する感情を。
わたし、何考えてるんだろ…
鋤柄さん、逢いたいよ。
帰宅すると疲労感に襲われ、かなえはベッドに倒れ込んだ。
来週金曜日に続く
12/1(火)は『怪人エモーションの日常』をお届けします。
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