ふりかえり11
学生時代や職場でのいろいろを振り返って書いてきた。
そこから少し時が経ち結婚してからも❝真面目❞は続き、それが大きなストレスになっていく。
そもそも結婚するもの、そして妊娠・出産が一連の流れのように。そして家事は私がやらなければ、という思い込み。
多様性という言葉が現実味を帯びて、これからもっと価値観が広がっていくと思う。すべて「自分で選ぶ」時代だと子どもに伝えている。しあわせが何かは本人が決めるものだし、本人にしかわからない。
昔のように「結婚できない」と言われたり、「子どもが出来ない」と言われたり、そんなの他人が口出す事じゃない。
と若干の怒りを込めて言葉にしている私は一昔前の普通、一般的な流れで進んできた。周りからアレコレ言われる前に。
結婚当初はもちろん張り切っているし、相手に何かしたい気持ちも大きい。
仕事を終えて帰宅する時間の関係で、必然的に私が夕食を作る。
フルタイムで働き、帰りに買い物をして夕食を作り、その合間に掃除洗濯。
夫の帰宅を待って一緒に夕食。そして洗い物。ここまで私がやる。
この時点では、おかしいとは思っていない。不満もそれ程感じていなかった。「こういうものだ」と思っていた。
なので当然相手も「そういうものだ」と思うだろうし、それが「普通」「当たり前」になっていく。
時々イライラしても、その理由を言葉にして伝える事はなく不機嫌オーラを放つに留まる。そこで頼ったり甘えたりする事で自分の価値が下がる…とでも言ったらいいか…?デキない人、みたいな。
時間は不規則といえど同じように働いて、同じ家に住んでいるんだから私だけが生活を整えていくのは話がおかしいだろう!となぜ言わなかったのか。
もしくは思わなかったのか。
【家事と呼べる物を書き出して、その分担の不公平を可視化して話し合う】なんて素晴らしいアイディアは私には全く思いつかず、モヤッとイラッとが積み重なっていく。
ふたりの生活ならまだ何とかなった。「もし子どもが生まれたら、その時は…」とは伝えていたけど、そんな急に変わる事はない。妊娠期間、つわりで食事を作れない事が度々あったけど、それを除けば家事は全て私。
本人の気が向けば料理はしたけど、自分が食べたい物を食べたい時に作るなんて、私はそれを家事とは認めない。と今なら面と向かって言いそう…笑
「言ってくれればやる」も何年そのままなんだよ、と呆れる。そして言うより自分でやる方が…の罠にハマっていく。
子ども、まして赤ちゃんなら、放っておいたら命に係わる。だけど成人男性は好きに買って食べる事が出来るし自分の事は自分で出来る。言えば。
それなのに勝手に任務のように感じて、こなさなければと構えて、出来ない時は「ゴメン」と言う。
子どもを遊びに連れて出掛けても、帰って夕食を作る事が常に頭にある。
自分と子どもだけなら量も内容も軽く済むのに【夫の食事】はそうはいかない。ある意味プレッシャーだ。
振り返ってみたら窮屈な生活は、自らつくりだしてしまったものだ。
今でこそ「今日ご飯ないでーす」くらいのトーンで伝えられるし、具合が悪くなくてもパスする事を覚えた。買った物も平気で出す。
「ご飯があって当たり前だと思ってんのか?」と最近本気で思ったけど、この状況をつくりだした自分にも非がある事はわかっているので今更文句は言えねぇな…と飲み込み、かわりに手を抜く事で発散している。