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僕に届いたお手紙

僕のルーティンは、学校から帰ってランドセルを置きっぱなし。
手洗いうがいをしてオヤツを食べる。
宿題はご飯の前、または後にやる。

今日はランドセルから、大人が使うような便箋を一枚出してきた。
先生とのやり取りは連絡帳がメインなだけに、なんだろう?

紙は四つ折り。
大きな字で僕の名前が書いてあった。
僕の字ではない。

転校した子が先生のところへ遊びに来て「手紙を渡してほしい」と置いていったとのこと。

そういえば3学期終わり間近に「転校する子がいるから、この折り紙を作ってほしい」と頼まれた。

作ったのはいいものの家族内で好評だったのか、兄弟の分も作ってほしいとリクエストがあって、終業日前に渡せるように夜な夜な折っていた。
あの時の友達からだと僕が言う。

私は僕の前で男の子だからとか、女の子だからとか性別を出すことはしないように意識している。男女で体力や体格の違いはあるにしろ、僕たちは男女格差・男尊女卑の時代ではないし、どこかで誰かが変えていかないと変わらない。

幼い頃から分け隔てなく接するようにと話してきたし、私もそうしている。
おじいちゃんやおばあちゃんに「男の子なんだから」「男の子だから青」等と言われた時は修正していた。

「たぶん、一年の時にいっしょにあそんでたからだよ」

一時期、折り紙に熱中していた。
友達に教えてもらったり教えあって折っていたようで、得意げに持って帰ってきて、私に折り方を教えてくれた。

宿題の国語の音読を終えた続きのように、もらった手紙に抑揚をつけて読み上げる僕。

『ねぇねぇ。元気?』

話し言葉で書かれている可愛い文。

ん⁈
私が聞いていいのか?

「僕のお手紙なのに聞いていいの?」
「いいよー」

今の学校は・・・という文ではなく数行だけど、今自分が夢中になっているこについて書いてあった。今置かれている背景を説明したくなるけれど『今の私は〇〇なんだ』と、今と自分にフォーカスしていた。

今を生きてる。
個人的にとても新鮮に感じた。

ある時、僕は「ほいくえん、楽しかったなー」と過去を振り返り、少し遠回りしながら保育園を眺めたりすることがあった。
理由は宿題がないし、オヤツはでるし、たくさん遊べるしなど。

この世で生きてまだ数年、もう振り返るのか。
早いけれど、本人にとっては一日はめちゃくちゃ長いのだろう。きっと。
覚えることもたくさんあるし、小学校だとルールもゆるやかじゃないし守らなきゃいけない。友達との関係にも悩む。

「ぼくも手がみ、かこうかな。新しく覚えた折り紙もいっしょに届けようと思うんだ」

たまに、おばあちゃん宅に遊びに来るらしいので届けに行きたいようだ。
キャラクターの便箋を使うのかと思いきや、もらった手紙と同じようなものがいいと言う。
キャラクターが恥ずかしいのか知らんけど。

自分の言葉で書きたい、届けたいと思えた出来事はよかった。

デジタルな世の中だけに、アナログな手紙。
覚えた漢字を使い、まとまりのある文章を書こうと学習している最中だ。

君たちの未来は楽しみでしかない。
私はそう思う。



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桜川空
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