![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68555083/rectangle_large_type_2_f81825831e5e3f679964d0891a2fc355.jpeg?width=1200)
20211226 MOから取り出した画像ファイルの一番古いものは2001年のもの
デジカメのファイルのナンバリングは、基本的に通し番号にしている。
これは、ずっとそのまま。
IXY Digital200で撮影したファイルを見てみると、今の段階で4088。
つまり、4088枚ほど撮影していることになる。
今日、MOから取り出すことのできたファイルは、2001年にこのカメラを買ってほどない頃、部屋の窓から撮った風景だった。
ファイルの番号は0045。
つまり45枚目。
そして200万画素のカメラなのに、解像度を一段落として1024×768で撮影している。
画素数にすると78万画素。
この頃、記録のコンパクトフラッシュは大容量のものをまだ持っていなかったはず。おそらく32MBのものを使っていたかな?
カメラの名前についている『200』という数字は、200万画素だということを表している。
その200万画素で撮影すると、32MBのコンパクトフラッシュで撮影できる枚数は60枚くらい。
カメラのフィルムよりは撮影できるが、たくさん取れるというほどのものではなかった。
だから、画素数を落として撮影するということをしていた。
ちなみに2001年当時、ホームページを作成するのに、だいたいどこのプロバイダも1アカウントあたり10MBが容量の上限だった。
しかも、回線は速くてISDNの128kBPSだったんじゃないかな。
当時澄んでいたところでもISDNで回線を引いてインターネットを使っていた様な記憶がある。
仕事で撮影したものをすぐさまHPにアップするのに、デジカメの画像ファイルが大きかったら、回線が遅くてアップはできないし、見る側も回線がまだまだ弱かったこともあり、見れないということがあった。
だから、200万画素フルの画像をそのままWEBで使うということもなかった。
当時は、Windows98に標準で搭載されていたFront Page ExpressというソフトでHPを作成していた。
それにFFFTPというソフトを使って、サーバーにアップしていたなぁ。
HP作成初期の頃だったこともあり、これで十分やっていけた。
まるで、阿部寛のホームページみたいなものだったけど。
そんなことも、思い出してきた。
今や、WEB上での様々なサービスがあるおかげで、わざわざHPビルダーみたいなものを使ってHPを立ち上げるのではなく、ブログやnoteみたいに自分でメディアを持つことが出来る様になった。
動画となるとYouTubeというサービスも含まれるだろう。
ひとり一人がメディアの発信者という時代になったんだと思う。
昔は、コンピュータやネットワーク、httpなどといった知識とスキルが必要だったけれど、時代が進み技術が進歩したことでハードルがかなり下がったように思う。
ちなみに、若干右にカメラを振った構図で、ファイルをフルサイズで撮影したものが、つぎの画像データだった。