岸辺露伴ルーブルへ行く 見た
岸辺露伴の続編があるとしばらく前からSNSで見ていて楽しみにしていて、先日放送されたのを観たら『密猟海岸』で「あれ?」と思った。ルーブル美術館で撮ったというのを観た気がするんだけど?『密猟海岸』も確かに面白くて楽しく観たけど、「あれ?」と思ったままでその謎がやっと解けた。ルーブルに行くのは映画だったのか。NHKも映画ってやるのか、知らなかった。そしてやっと謎が解けたそのタイミングでそれがテレビ放映されるという。絶妙なタイミングで放映された『岸辺露伴ルーブルへ行く』見ることができた。一言で言うと、とにかく美しかった。やっぱり美しかった。とことん、美しかった。
私はジョジョの読者ではないけれど、漫画が好きなのでその存在はもちろん知っていた。たくさんの人を魅了し続けるその作品に多大な敬意を持っているが、その絵の迫力に圧倒されてしまって読むことができずにいる。私は憑依体質のタイプで強いエネルギーを放つものにメンタルを引きづられてしまうのでそういうものを避けてしまう。興味はあるけれど近づけない。猫好きだけど猫アレルギーみたいな。ジョジョも私にとってそういう存在だった。それが映像化されると聞いた時は本当に嬉しかった。私でもジョジョの世界を垣間見ることができるのか!ありがたい!一話から楽しみに観た。そして一話から度肝を抜かれた。その画面に映る全てのことが一つ一つ限りなく美しくて、こんなことが可能なのかと愕然とした。そして待ちに待った『ルーブル編』だった。
テレビドラマ編も先日の『密猟海岸』でもう九話目なのでそれまでと共通していること(主要人物のキャスティング、露伴先生の家や登場人物の衣装など)はあえてここで言うのはやめようと思う。今日は今見た『ルーブル編』について自分のフレッシュな感想を備忘録として書き留めておきたい。
私は映像のこととか全くわからない。でも露伴先生の「顔が画面に映る」時に、ただパッと一つの角度から映るのではなくて、アングルを変えてのショットや目線が遠くからだったり斜め上からだったりと色々あることに気づく。時々「え?なんでこの角度から撮るの?」と思うことがあるけれど、そういう時はその後に続くショットが何かしら関連づいていたりその目線の動きが話の流れと関連していたりしているような気がしている。1年くらい前から自分も動画編集をやるようになった。流行っているので流行っている時にどういうものかわかるようになっていたいのと、大量にある旅行の写真や動画をまとめて整理したいのとで自分用に動画を作っている。動画を編集し始めて気づいたけれど、ただ撮っているだけでは動画にまとめた時に自分が何度も見返したいと思うようなものにならない。撮っているときはその状況が面白いと思って撮っているんだけれど、後で動画にまとめるとその時の臨場感が伝わらない退屈なものに見えてしまう。それでも自分の動画は頭に残っている思い出が補正してくれるので一緒に旅行した夫と「こうだった、ああだった」と話しながら見ればまだ見れる。でもきっと親や兄弟に見せてもきっと退屈だろうと思う。ああ、そうだ。子供の運動会のビデオを会社の同僚が遊びに来た時に見せるっていうあれだ。長年多くの人に忌み嫌われているあの類のものと一緒だ。思い出補正がかからないとただ撮っただけの動画は退屈なのだ。それでも自分の動画を10本以上作ると少しづつ「角度を変えたものをはさめてみよう」とか「間に違う画像を入れてみよう」とか色々考えて工夫するようになるんだけれど、そうやって色々やってみても出来上がったものは冗長な凡庸な、作った本人でも何回も見直すにはきついものになってしまいがち。そういう経験をしたので、「岸辺露伴の顔を映す」というただ一つの場面でもこれだけ魅力的にできるその技術とセンスがとてつもなく素晴らしいと思った。それが角度によるものなのか、コマ割りなのか、割ったコマの長さの割合なのか、そこに置かれる音なのか、色合いなのか、何がどう作用しているのかも私にはわからないけれど、ただ一つの場面を魅力的にしているセンスにただただ脱帽です。そしてこの作品は一つ一つがこういう具合でそれの積み重ねだから脱帽も何も、もう何も脱ぐものもないくらいの尊敬の念を抱く。
今回、ヤング露伴が登場した。長尾謙杜くんだった。最初の登場で「え?謙杜?」と思ったけど、いつもの謙杜っぽくもない気がしてすぐに携帯で調べてしまった。やっぱり、なにわ男子の謙杜であった。最初、彼はセリフがなかったので特にヤング露伴のイメージにハマったように思う。声を出すと謙杜だとすぐわかるけれど、しばらくその佇まいが映るので、とても露伴ぽかった。未完成の露伴ぽくてこちら側をその世界にいざなってくれた。そしておそらくだけれど、映し方も高橋露伴に寄せるような写し方をしていたような気がする。高橋露伴は身長が高い。謙杜はどちらかというと少年体型。もちろんトップアイドルなのでスタイルは抜群だけれど、高身長の高橋露伴とはちょっと趣が違う。だけど、足元から上に見上げるような角度で撮られていて、謙杜が自分の思い描く彼よりも高身長に見えた。それも私にそれが本当に謙杜かな?と思わせた。謙杜露伴は高橋露伴を若く初々しくした形に見えた。そして木村文乃さんとのシーンで、何も露出なんかないしそういう場面展開でもないのに、とても色っぽい雰囲気に見えたのが不思議だった。浴衣の木村文乃さんと露伴衣装の謙杜。若い露伴が恋心を抱いていく様子がとても自然だった。あの色っぽい雰囲気がそうさせたんだと思うけど、あれはどうやって醸し出されていたんだろう。光の色?役者さんたちの演技?脚本?テンポ?全てが上手く絡み合ってこのお話の肝になる「岸辺露伴の若年期の甘酸っぱい思い出」という前提が与えられた。これが今回の露伴の全ての行動のモチベーションなので、とても大事で描くのが難しい部分だったんじゃないかと思う。あの岸辺露伴の若年期の恋心なんて、今目に見えている岸辺露伴とは相反する事柄すぎて、どうしてあんなに完璧に描くことができたのか本当に不思議でならない。
岸辺露伴のお話はとても現実離れしている荒唐無稽のお話だけれど、それをそれとして楽しむには映像も現実離れしていないといけない。しかも馬鹿馬鹿しく見えるような現実離れした様子ではなくて、「こういう世界もあるんだろうな」と思わせるような異世界感が必要。このNHKの岸辺露伴シリーズは徹底してその異世界感が実現していると思う。今回のルーブル編でも木村文乃さんと長尾謙杜くんのあの完璧な美しい顔。「美しい顔」という教科書があるとしたら必ず載るであろう、まるで漫画に描かれたような整った顔。その日常感のない美しい人たちと、私の大好きな白石加代子さんの妖しさと、ロケショーンの半端ない美しさと、何が起こってもそこではあり得ることだと思わしめる説得力のあるものになっている。私はどんなに最新の注意を払ってもどうしても小さなミスを犯してしまう人間なので、この完璧な世界を実現させるべくいたるところの細部にまでこだわりまくったであろう製作陣の細やかなスケジューリングやチェック体制に背筋が寒くなるほどのプロフェッショナルを感じてただただ尊敬の念を抱く。そしてこんな素晴らしいものを見せていただいて本当にありがとうございました。
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